2006.4.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  35. 私の防災訓練
 

 

 最近は津波や大地震だけでなく原子力発電所の事故やテロなどについても、大きな災害を推定してそれに対処する訓練が積極的に行なわれるようになりました。前にはそのような災害を仮定するとそれだけで、人々の不安を呼び起こすということで、うっかりと口にも出来なかったものです。同じような意味で、私が若し急に危篤状態になったらなどと言うと、そんな縁起でもないことと言われそうですが、やはりこれも仮定して予め準備をしておかなければならないと感じたのです。

 去る3月11日(土)の朝方、寝ていて急に腹痛を感じてトイレに駆け込みました。下痢でも何でもなく少し治まってベットに戻ると、痛みは段々と左わき腹に移ってきたので、「あそうだ、これは11月に起こった腎臓結石の発作だ、そういえばかねてから左の腎臓に石があると検査の度に言われていたな」と思い出したのです。幸い痛みはいつの間にか消えてまた眠りに落ちていきました。

 朝になって起きてから、前にこの欄の11月に「腎臓結石」に書いた鎮痛用の座薬のことを思い出したのです。丁度今は老人ホームに居て、近くに関連の病院があるから、そこで今朝の話をして座薬をもらっておこう、と思いついたのです。ところが診察した先生は、痛みの原因を探るべく超音波診断装置で腹部を念入りに調べて、「これはいかん。腹部大動脈に動脈瘤らしきものがありますよ。関連のT病院にCT装置があるから、すぐにそこへ行ってCT検査を受けてください」と言われました。

 T病院で造影CTを撮ると、それを見たT病院院長は「今まで京大病院に掛かっていたのなら、そこへ連絡してみます」と京大の救急外来に連絡されました。そこからの返事は「すぐに救急車で救急外来にくるように」ということでした。こうして院長先生に一緒に乗って頂いてタクシーで救急室に駆けつけるということになったのです。気楽なつもりで何も持たずに出かけた私は、一時間後には救急治療室で点滴を受けていました。幸い再度CTを撮り、いろいろな検査をした結果、「痛みは腎臓結石によるものであろう。動脈瘤は古いもののようだが油断はならない。今後血圧の管理を厳重にし、半年に一度はCT検査を受けるように」とういことで2週間後に無事退院のはこびとなりました。

 私がこの経験を防災訓練だと感じたのは、今度の場合は意識ははっきりとしていましたが、このようにして何の準備もなく、急に緊急入院してしまったらどうなるか、と考えたからです。今は本人でないと銀行も預金をおろしてくれません。植物人間にならないように、不要な延命措置をしないように予め何らかの意思表示をしておかなければなりません。私自身はそのままあの世に行くことになっても、それは定めとして諦められても、世の中の雑事はそう簡単には済まされないでしょう。そうだこれを私に課された防災訓練だと思って、これから準備に取り掛かろうと病室の天井を見ながら、考えたのです。残念ながら未だ何も手についていませんが。

 降圧剤の点滴を受けていて、或るとき眠くて眠くてどうしても目を開いていられないことがありました。丁度看護師さんが血圧を測りに来てくれました。最高血圧80で、医師の指示ですぐに点滴の流量を減らしてくれましたが、とたんの眠気はなくなったのです。動脈瘤が破裂して出血したときは、血圧が急に下がってこんな風になるのではないか、など言うと縁起でもないと言われそうですが。そうです、何より防災訓練の計画を早く作らねばなりません。

 

 

 
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