2006.1.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  32. お正月に思う
 


 最近友人が自分の田舎での子供の頃のことを書いた本を送ってくれました。そこへ拍車をかけたのが渡辺京二の「逝きし世の面影(平凡社ライブラリー)」です。先ず最初の本を読んで自分の子供時代(昭和の初め)のことを思い出し、そして二つ目の本を読んで、遥かな江戸の終わりから明治の始まりの日本人のこころを垣間見たのです。私達は余りにも忙しく変化する世界を生きてきたせいか、自分の子供時代もその後の変化もすっかり忘れて、先行きのことばかりにこころを奪われていたように思います。ましてや明治に投げ捨ててきた私たちの祖先の文化など考えたこともなかったのです。

 友人は子供時代のことを生き生きと書いていますが、私は机に座ってじっと目を瞑ってみても、年の初めをどのように迎えたか何も思い出せないのです。元旦には学校へ行って新年の式があったような気がしますが。校長先生の教育勅語の拝読(正確には何と言ったのか?)そこで歌ったのが「年の始めのためしとて、終わりなき世の・・・・」という歌ではなかったでしょうか。いや、その前に「もういくつ寝るとお正月・・・・」とお正月を待ちわびたものでした。兎に角お正月がくると歳を一つとるのですから。私も昔ならもう86歳ということですが、今では満年齢ですからまだ84歳です。みんなが一斉に年を取るというのもなかなか良かったのではないでしょうか。誕生祝が一度に来るようなものですから。

 我が家では何時もは閉めたままの表の扉をひろびろと開けて玄関には年賀の名刺受を置いていました。学校から帰ると父が私達を連れて近くの西宮戎さんへ初詣に連れて行ってくれたように思います。翌2日には今度は親戚達が年賀にやってきます。大人達は二階で宴会をしている間、子供達(ほとんどが母方の従兄弟達ですが)は1階や庭で遊びました。二階の宴会がおわると皆庭に集まって記念写真を撮るのが常でした。残念ながらそれらは全部戦災で焼けて今は手元にはありません。今でもこの習慣を生かすべく1日昼過ぎに子供と孫たち全員で12名(最近は次男が東京でそこの2人が欠けて10名です)が一緒に持ち寄りのご馳走を楽しみます。でもこれも今年が最後になるかも知れません。次からは老人ホームでのお正月になりますから。

 子供のときには年賀状などには興味はありませんでしたが、今では沢山来る年賀状を一つ一つ読んでいくのが楽しみです。年に一度でもいろんな人たちのことを思い出しながら。そこで今年も何とか頑張って年賀状を出しましたが、これも来年は無理だろうと思って、今後は欠礼します付記しました。

 門松もお飾りもないお正月を、簡便でよいと思っていましたが、本を読んで昔のことを思い出すと、もう少し重々しいお正月を迎えるようにしなければと今ごろ反省しています。私達は余りにも古いものを捨てすぎた、そのなかからこころに沁みるようなものを取り出し大事に引き継ぐべきだったと反省しています。渡辺の本にありますが、明治の日本人知識人が己の過去を羞じ、全否定する人々だったように、我々も敗戦で総てを捨ててしまったのではないでしょうか。その反省の上に立って私たちのプロジェクト「いのちの科学」を展開していきたいものです。

 

 
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