2005.10.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  29. 「もったいない」を生かそう
 


 Mottainai「もったいない」はご承知のように、ノーベル平和賞受賞者のケニア副環境相、ワンガリ・マータイさんが日本を訪問して注目した日本語です。彼女は、資源を有効利用する3R(ごみの削減、再使用、再利用 Reduce, Reuse, Recycle)の精神を「日本語では一言で“もったいない”と言う」と話しています。この精神を広めようと言うわけで、彼女は各地の講演でこの話をしているそうです。今まで彼女が使っていた3Rはあくまで物質的、経済的なものです。彼女はこれにもっと精神的なものを持ち込みたいと思っていたのではないでしょうか。それを探りたくて私は彼女の「もったいない」を解説した本1)をようやく手に入れて読んでみました。私の予想は間違っていなかったようです。私には子供の頃にお茶碗に米粒が一つ残っていても、「もったいないからきれいに食べなさい」と言われた覚えがあります。この本にも初めに次のような解説が書かれています。

 「もったいない」とは、物の本体を意味する「勿体=物体」のこと。「ない(無い)」は、それを否定したもので、本来は、物の本体を失うことを指す言葉でした。また。「もったいない」には重々しく尊大なさまと言う意味もあり、それを「無し」にすることから、畏れ多い、かたじけない、むやみに費やすのが惜しいという意味で使われるようになりました。

 しかし、なによりも「もったいない」という言葉の奥には「努力」や「苦労」、「時間」や「歴史」など、せっかく積み重ねてきたことを「失ってしまう」「「無にしてしまう」ことへの無念と哀しみがあるのです。(以下略)

 このような解説の後に最初に出てくるのは私も上に書いたご飯の話です。

 食事を残すのは、とてもお行儀のわるいこと。
 お米の一粒一粒には、作った人々の
 大変な苦労と思いが宿っています。
 だからこそ、ごはんは最後の一粒まで、
 ありがたくいただく。
 これこそが、日本人の心に生きる
「もったいない」の精神です。

 私は先日、日本のある医学会の大会懇親会で挨拶を頼まれたときに、この話を次のように紹介したのです。

 “マータイさんは、日本に来て3Rを一言で表わす便利な言葉として「もったいない」を見つけ、それを世界に広めようとしていると、報じられています。私は彼女の本を読んで、彼女は一言で表わす便利さ以上にもっと精神的なものをこの言葉の中に読み取ったのに違いないと思います。皆さんは今日の学会で物理、生物から医学臨床にまでわたる広い医学の問題を突っ込んで科学的な議論をしてきました。でも私には何か未だ足りないものがあるように思えます。医学は最後には患者さん個々のこころの問題を無視しては語れません。丁度マータイさんが日本に来て何か物質を超えるものを感じたように、私たちは医学の研究においても、本来持っているこの大切なものを忘れないようにしたいものです。ことに懇親会では、是非科学的な問題を超えたこころのことも話し合って頂きたいと思います。そうすればこの懇親会が一層実りあるものになるでしょう。”

 西洋的な3Rから「もったいない」へ、という言葉の違いの中に何があり、何が大切か、日本人の心の中で消えかけていたこの大切なものをもう一度しっかりとこころに留めたいものです。先日も新聞の一面を全部使って

人と地球が健康であるために、
***は「もったいない」運動を応援します。

という意見広告2)が出ていました。大いに我が意を得たと喜んでいます。この機会に、私からも日本人の心に生きる「もたいない」の精神をもう一度よく思い出し、それを生かすことを、訴えていきたいと思っています。


資 料
1)プラネット・リンク編 Mottainai もったいない
  マガジンハウス  2005年6月2日発行 
  ISBN4-8387-1690-5
2)毎日新聞 2005年9月20日朝刊 12頁
  三基商事株式会社

 

 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■