2004.3.1
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菅 原 努
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10. 春を待つ | ||||
彼は細い小柄な身体で、それでよくあちこちを歩きまわれるものだと感心していたのですが、遂に枯れ木が折れるように、消えていきました。でも彼の歩いたあとはそのままこの京都に残っています。最近の人はテレビや写真が発達したせいか、それらを見ただけですべてを知ったように錯覚してしまうようですが、歴史のあるところを足で歩いて見ることはまた新しい発見につながり、歴史を身をもって体験することになればと思います。 昔私は経済学者の友人の協力を得て、経済と健康との関係を死亡率から調べたことがあります。1960年代までは高齢者の死亡率に大きな季節変動があり、冬に高く夏に低くなるのです。これは当然寒さのせいだろうと想像がつきます。それが1980年代になると消失して季節差が見られなくなるのです。その理由として私達が探し出したのはアルミサッシの普及でした。1975年ころからアルミサッシの製造が急増しています。これで冬も部屋が暖かくなって肺炎などが減ったと考えられます。 でも最近ではがんと並んで心筋梗塞、脳卒中など血管系の病気が死因の首位を占めています。これの誘引としてお風呂とトイレが注目されます。私は早朝のトイレで発作を起こしましたし、何人かの友人が風呂上りに倒れ不帰の客となりました。私の個人的な感じですが、これらでは温度差が問題ではないかと思っています。統計データをもとにそれらの行為のリスクを求めることが出来れば、日常生活のリスクを実際の生活に生かせることが出来るでしょう。このようなわけで、これらの温度差のなくなる春が待ち遠しいということです。もっと華やかな気持ちで春を待っていたのに、と不服に思われるかも知れませんが、これが年寄りの正直なところです。無事に春を迎えて、またしばらくこの欄を続けることが出来れば幸いです。
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