1999.11.9
 

JCO臨界事故での放射線量をめぐって

菅 原 努
(平成11年11月8日)

 新聞報道によると、東海村の核燃料加工会社「JCO」東海事業所で起きた臨界事故で放出された放射線量について科学技術庁の事故調査対策本部で推測がなされた由11月4日発表があった(毎日新聞4日夕刊、5日朝刊)。

 「今回の事故では工場の敷地境界で臨界から約1時間後の時点に1時間あたり0.84ミリシーベルトガンマ線が、6時間半後の時点で同4ミリシーベルト中性子線が測定されているが、臨界が起きた瞬間に大量に放出された放射線量は把握できていなかった。対策本部は臨界を起こした沈殿槽内からウラン溶液を採取し、分析することで臨界時に周辺に放出された放射線量を計算した。」その結果、350メートル圏の住民が避難を始めたころの午後4時まででは、距離によって110−1.4ミリシーベルトだった、としている。

 私はここで、この線量の計算については問題があるにしてもそれは除外して、実際にこれだけの線量があったとした時に、それを受けた住民の方々の健康について何を問題にするべきかを考えてみたい。それはこの点についていろいろと混乱があるように思えるからである。

  1. 国際放射線防護委員会(ICRP)は一般公衆の被ばく限度を年間1ミリシーベルトと定めている。放射線作業に従事する専門家でさえ年間50ミリシーベルトが限度とされている。そこで「避難圏外でも許容量超す」という見出しになっている。 ICRPは今では許容量という言葉は使わず、線量限度と言っている。これを超えていることは管理上大きな問題である。しかし、線量限度というのはあくまで管理上の基準で、所謂許容量ではない。ましてやこれを実際に特定の人々がある被ばくをした時にリスクを推定する基準にしてはならない、と1998年のOECDの特別委員会の報告でも明言している。

  2. 4日夕刊の報道に対するコメントとしてある放射線防護学の専門家が、「急性障害が発生する線量ではないが、がんの発生率が高くなる恐れがあり、周辺住民の継続的な調査が必要だ。」と発言したとある。科学的にはこれは全くの、間違いである。何故なら、今のしきい値なしの直線仮説をとったとして、計算上のリスクはあっても、それをこの少人数の集団で検出することは統計上不可能だからである。調べれば何でも分かると思うのは科学者の思い上がりで、また一般の方にもそのように科学を過信しないでもらいたい。

  3. ところが、翌5日の朝刊によると、「原子力安全委員会も、専門家による健康管理検討委員会を置き、長期の健康調査をする方針を決めた。」とあり、驚いた。検討委員会を置くことはこの事態であるので、必要であろう。しかし、今長期の方針を決めるのは問題である。先の専門家同様科学の限界を忘れているのではなかろうか。

  4. では何もしなくてもよいか。そんなことはない。先ずするべきことは、各人の線量の推定を出来るだけ正確に行うことである。われわれは常に自然の放射線を受けている。それも各人で同じではない。それに対して今度はプラスαの放射線を受けたわけである。このような状況を正確に計り記録することである。このレベルではそれが健康に直接に影響するとは考えられないが、心理的なこと、管理に失敗して迷惑をかけたこと、風評被害をかけた可能性があること、等々を配慮した対応は必要であろう。しかし、記録の保存は必要であるが、長期の健康調査はかえって不安を与えるだけであろう。

  5. 何も変化しないと考えられるか。そんなことはない。今の知識でも幾つかの変化は観察される可能性はある。生物学的線量推定法が進歩しているので、幾つか線量に応じた変化が見出されるであろう。しかし、それはあくまで線量の指標であって、健康の指標ではない。また最近低線量の放射線に対して適応応答という反応があることが明らかになってきた。ただしこれはむしろ放射線に抵抗性になるというもので、健康障害とは反対で心配するべきものではない。しかし、研究者としては興味のある点である。

  6. 今度の事故で管理や規制のあり方について早急に改めようという動きがあることは好ましいことではあるが、影響研究についてもその体制、研究費などを早急に見直してほしいものである。大線量を受けた時の治療については勿論であるが、低線量の影響について積極的な研究体制作りが必要なことを訴えたい。十分な基礎データもなく、ただ長期調査をすれば何かが分かるという姿勢は根本的に改める必要がある。低線量の影響の機構はどのようなものか、放射線による発がんの特徴は何か、それを修飾する因子は何か、人では実際に何が起こるのか、なお今度の事故でデータ不足が痛感された中性子線の生物作用等々多くの課題を研究しておかねばこのような事態に正しく対処できない。

  7. 私達は約10年間世界の高自然放射線地域の疫学調査を民間の研究支援のもとに行ってきた。それは丁度今度の事故の線量に、また放射線作業者の線量に相当するレベルのところで生活している人達である。その状況はこのホームページでも示しているが、このような研究は国の経費でセンターを作って永続的に行うべきものである。そこでの経験がこの発言の基礎にあることを強調しておきたい。

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