2002.8.1
 

2002年8月のトピックス

リスクとどうつきあうか

菅 原 努

 


 今月は7月13日に東京で行われた原子力安全委員会主催のパネル討論会「リスクと、どうつきあうかー原子力安全委員会は語りあいたいー」について、感想を述べたいと思います。パネルでは感想を書くアンケート用紙が配られていたのでそれにはとりあえず「全般として満足しました」と書いたのですが、帰りの新幹線のなかで、もらった資料を読みながら考えてみると、いろいろと問題がありそうです。主催者の狙いは、「原子力は、どのくらい安全なら、十分なのか」をリスクを使って論じ、彼らが検討中の安全目標について理解を得る第一歩にしようと、いうところにあったのでしょう。

 定員300名のところほぼ一杯でしたから、かなりの人が集まったと思いますが、残念ながら委員会の意図したような一般公衆の参加は少なかったようです。それは最初の社会心理学者木下冨雄甲子園大学学長の講演「私たちの社会は、リスクとどうつきあうか」のなかで、氏がリスクパーセプションが実際のリスクの大きさとずれる例として聴衆に対して「飛行機のリスクと自動車のリスクとはどちらが大きいと思いますか」と質問したのに対して、飛行機の方に手を挙げた人が殆どなく、講師が「これは普通と違いますね」といったことで分かりました。殆どの聴衆がリスクのことをある程度既に知っていたというわけです。そのような人を対象にしたパネル討論会としては、質疑応答もかなりありましたし、確かに満足しました、と言えたと思いますが、これで一般の人が納得するだろうかという疑問が帰りの列車のなかで私の頭に浮かびました。一言でいえば、今日の話では歴史が全く語られなかったということです。歴史は文化であり、人々の心は知らず知らすの間にそれに浸されているものです。人々と接するときには、日本の環境問題は公害から始まったということを忘れてはならないのではないでしょうか。公害は後追いでした、そこで今度は前向きに予測を立てて計画しようとしている、それがリスク論なのです、と違いを明確にするところから始めるべきだというのが、私の第一の感想です。

 たしかにパネルの司会(コーデイネータ−)を務められた小林傳司南山大学教授は、はじめに、何故今対話が必要とされるかについて、先進諸国の悩みとして歴史的な背景のあることを語られました。それは日本でも同感されるものではありますが、日本人の心に何処まで訴えるか、もう一つ迫力がないのではないでしょうか。安全目標専門部会が作られた調査審議状況の報告も模範的にできています。しかしこれで人々がよし分かった、これからはリスクで行こうとなるでしょうか。20数年前からリスク、リスクと言い続けてきた私としては、それに原子力安全委員会だけでなく近頃では政府のあちこちの機関でリスクマネージメントと言いはじめたことは、喜ばしいことではありますが、それを余りにも簡単に使われることに疑問を感じます。

 ここでは安全委員会の主張を紹介するのは止めて、むしろ部外者にあたるパネリストの発言のなかで、頭に残った2、3を記します。読売新聞論説委員の北村行孝氏は「リスクコミュニケーション上は第三者的な専門家集団の存在が望ましいが、日本ではこの部分が弱い」と言われましたが、これは弱いのではなく、存在しないのです。(株)科学技術文明研究所所長の米本昌平氏も、構造化されたパターナリズムとして、政策立案を霞ヶ関官僚が占有することを社会が承認している、立法府と行政府が融合している、ということを挙げ、アカデミーが独立せず省庁によって個人的に審議会に引き込まれている、ことの問題を指摘されました。第三者的専門家集団の必要性は私がここ何十年も主張し努力してきたところで、リスクコミュニケーションの前に、それに応じられる体制作りが先行する必要があるのではないでしょうか。

 最後に司会の小林氏が「1970年以降トランスサイエンスの時代になった」と言ってくれたのは、私には万歳でした。このパネルを通じて私が一番疑問に思ったことは、安全目標専門部会の人々は、今や問題は科学だけでは解けないところに来ていることを何処まで理解しておられるのだろうか、ということです。不確実性と言いながら、それは高々測定値の誤差位に考えておられるのではないか、と言うことです。例えば放射線による0.1%のがん死亡率の増加と言ってもそれは決して測定できないものなのです。それをリスクとして取り扱っているのです。それが良かったか悪かったかも証明出来ないのです。其の点は多くの健康障害者の見られた公害とははっきりと違います。この違いをはっきりと理解しないと、健康リスクを論じることは出来ないと思います。これは何も専門分野の隔離の問題ではなく、リスクの本質に関したことだと私は思っています。

 私自身も、リスク、リスクと長年言いながら未だ分からない事が沢山ある、8月に予定しいる次の我々のリスク検討会でどんな議論をするべきか、など考えながら家路を急ぎました。