2002年6月のトピックス 大学は何処へ行くのか 菅 原 努 |
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ご承知のように近く大学が特別行政法人という新しい形になるということでいろんな議論が飛び交っています。私は大学を離れてからもう20年以上経つので、今更大学のことなどと言うべきところかも知れませんが、財団の仕事はその殆どが大学の先生方とのものなので、時々大学はどうなっていると聞いていました。そこへ飛び込んで来たのが京大原子炉実験所の内海教授からの次のような集会への参加の呼びかけです。 京都大学の長期目標を語る会議(京大懇談会)を立ち上げるための講演会 趣旨: この時点で、京都大学の将来の望ましい姿について、研究と教育のありよう、地域のみならず国際社会、地球益との関わりようについて、多くの教官が黙して語らないようでは、あえて申せば、本学を自らの手で葬ろうとするに等しい。じつは、昨年末以来、京都大学の現状に「もの申したい」研究者が、考えや立場の違いを越えて定期的に集まってきた。まだ結論めいたものが出るには至っていないが、自然科学も人間の文化の一部であることの反省の上に、「人類の文運を高め、地球の輝きに貢献する」統合力の強い大学のありようを構想し、京都ならではの学術環境の再構築について検討をすすめている。 そのような大枠の中でこそ初めて意味を持つ、「教官任期制」や「広領域入試制」、「独自の多元的な業績評価制」、「学内賜暇研究者制とその附置研による受け入れ制」なども議論され始めた。 この集まりは、ようやく名乗りをということで、「京大懇話会」なる看板を先日掲げたが、その精神は、「ベキデアル」という、解が一つしかないような提言をできるだけ避けること、奇人も顔色良き大学の楽しさを忘れぬこと、である。 本会は、このような趣旨で、一層の議論がまずは学内に深まり、この大学の大きな転換点にあって、禍根を残さぬよう、老若男女呉越同舟に、多くのかたが、それぞれ「一人の考える話者」として加わられることを望みます。 呼び掛け人: 京大懇話会(世話人代表/内海博司) 第一回の会合は5月9日に生駒俊明という東大名誉教授で外資系の会社の代表取締役会長の方から「大学の未来像―京大への提言―」という講演を伺い、あとそれを巡って一時間ほど議論しました。講演は同氏を含む大学人有志が纏められて2月1日に発表された「大学システム改革への提言」をめぐるお話でした。提言の基本は次の二点への危惧の念にあるということです。
私自身として話を聞き、議論を聞いていて先ず感じたのは、もはや「反骨と自由の学風」などと言っている時代ではない、ということです。もっともっと大きな立場で学風を考えなければならないでしょう。それでも大学があるべき理想の姿を示し、それを目指して学生が学びに来るという基本は矢張り大切だと負け惜しみで考えました。生駒氏は大学と企業とを経験した者として、本来の教育と研究以外に余りにも慣れない管理体制に時間を取られている現状を指摘していました。聴衆の中から企業から大学へ移ってきて、ここは平社員ばかりで、それがある日から急に管理者になる変な所だと言ったのには、成る程と頷かざるをえませんでした。 第二回の講演会は5月27日に京大大学院生命科学研究科科長の柳田充弘氏の「京大三分割考」という話を聞きました。氏は東大を出て、京都へ来て30年余ということで、この題で京都大学新聞に書かれた記事が目にとまってこの話になったようです。先ず大学改革の精神論ということで、「大学とは、人類にとって永遠の問題を考えたり、解いたりするところである」。それでそれに相応しい人、場所、歴史、環境が必要であり、京都大学は正にそれに当たる、と言われてびっくりしました。松下村塾は郷に居て世界を考え、法隆寺は邦の立場で、Cambridgeは帝国を、世界に誇示し、世界を考える場所であったのだ、京大もそのようなものであるべきだ、というわけです。それを如何に護り育てていくかを考えなければならない、として論を展開されました。そのために医、工、其の他に3分割するというのが氏の提案です。それにはそれなりに理由はあるのですが、どうも前半の論とはかみ合わないような気がしたのは、どうやら私だけではなかったようです。しかし議論のきっかけとしては十分理由があり、討論を楽しむ事ができました。私も一言話させて頂いて「理、農、工、医」の入り混じったイメリタスクラブが出来るのは、京都なればこそなので、その点を忘れないでほしいと訴えました。 これからも3回、4回と議論を重ねていこうと言う計画のようです。京都大学が何処へ向かうのか、このような議論を通して少しでも方向が出ればと期待を持って、我が家へ向かいました。
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