2001年8月のトピックス 菅原 努 |
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さていよいよ「放射線とホメオスタシス」というホメオスタシス(Homeostasis)ですが、これは最近問題になりだしたシステム生物学の考え方を利用して説明したいと思います。ホメオスタシスは安定性(Stability)と頑健性(Robustness)の二つの成分に分けられると考えられます。安定性は外界の騒擾要因に対して恒常性を保つもので、いろいろのフィードバック機構が働いているでしょう。放射線とがんとの関係では、この安定性が壊れて遺伝的不安定性が誘発されるかどうかが問題になっています。もう一つの頑健性とは破壊的因子に対して耐性を示すということで、生体では修復能とか冗長性とかが働きますが、最近では温熱耐性に見られるようなストレス応答もこの一部と考えられます。放射線とがんとの面では、修復ミスによる突然変異、これに反対のものとしてはDNAに傷のある場合のアポトーシスなどが考えられます。その他どんなことが起こっているか、このシンポジュウムでの発表と議論をそのような立場から見てみたいと思います。 さて此処で私から一つだけ具体的な問題提起を行いたいと思います。それは放射線によって最初にDNAにつく傷と、最後のがんが出来たときに見られる突然変異の分子的特長との関係です。放射線についてはこれがこのシンポジュウムの一つのテーマですが、太陽紫外線とそれによる皮膚がん(メラノーマを除く)との間ではその関係は比較的明瞭です。すなわち、紫外線によってDNAに生じる特徴ある変化に対応した突然変異が出来上がったがんに見られ、それが分子サインと言われています。ところがこの場合には、線量効果関係は線量の二乗またはそれ以上になることが疫学データから分かっています。そこで放射線の場合大切なことは、線量効果関係が直線であるということは、何も放射線によるDNAの傷そのものが、直接がんに結びつくとは必ずしも言えない、ということです。疫学データが直線性を示してもそれは発ガン機構については何も特別なことを意味しないということです。 これから話を大きく変えて、数枚の16〜19世紀の日本画をお見せします。最初は室町時代の秋冬花鳥図の屏風です。ここで一枚の絵に異なる季節の様子が一枚の屏風に描かれていることを示します。次は江戸時代の洛中洛外屏風図です。これは一見鳥瞰図のように見えますが実はそうではなく、拡大図でわかる様にそれぞれに異なる時、季節の図を集めて都の生活を描いたものなのです。最後は江戸時代後期の広重の版画で夜の藤沢宿です。夜であることは空の色と提灯を持つ人がいるので分かりますが、町角の細かい様子がはっきりと描かれています。本当はもっと暗くて殆ど何も見えないと思いますが、それを明るく描いています。このような日本画の特徴を東大名誉教授の高階先生は次の様にまとめておられます。日本画家は季節の移り変わりをそのまま表し、画家がある一点から町を見るのではなく自分が街中を歩いて人々や町の様子を見て歩いています。また夜でも単に見えたままでなくそこでの人々の動きを細かく追いかけています。結論として日本画家は、画家個人の目よりは描こうとする対象そのものに重きをおいている、といえます。これはルネッサンス以来ヨーロッパの画家がそして科学者が取ってきた、すべてのことについて見る人に重点を置いてそこから一瞬の美あるいは科学的真理を見抜こうとしてきたのとは異なります。日本に来られたこの機会に、この日本画家の目、それは多くの日本人の心の奥に潜んでいるものの見方であろうと思いますが、について注目していただければ幸いです。放射線とがんについても、LNTモデルなどにこだわらず、複雑な過程をじっくりと眺めなおしてみたいものです。 最後に放射線防護体系との関係ですが、体系そのものは単純でわかり易いものであることが、望ましいのは当然です。しかし、ここでの議論は発ガンの複雑な過程に及ぶことでありましょう。その議論を通じて新しい防護のための基本原則のようなものに到達できればなによりの喜びです。そのような議論が最後のセションでなされることを期待しています。 これからの4日間を皆様のご協力で有意義なものになりますよう、お願いをしてこの挨拶を終わります。有難うございました。 |
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