Books (環境と健康Vol.28
No. 4より)
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筒井清忠 編 昭和史講義−最新研究で見る戦争への道 |
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(株)筑摩書房 ¥880+税 |
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日清、日露戦争に始まり太平洋戦争の終結にいたる書物はこれまでにも多く読んできたが、なぜ日本が勝算のないアメリカとの戦いに踏み切ったのかを明確に説明した書物には出会えなかった。本書でもその疑問が氷解したわけではないが、昭和の時代が不可避的に戦争へ突き進んでゆく様子が分かりやすく解説されている。 日清、日露の戦争が自衛的な闘いであったのに比べ、満州事変に始まる中国大陸への進出は自国の権益を拡大するための侵略であったことはよく分かる。日本政府は過剰となった国民にブラジルなどへの移民を奨励するがその環境は劣悪であり、アメリカでは 1924 年に排日移民法が成立する。さらに 1929 年の世界恐慌に端を発して、日本は近代史上最大の不景気、娘の身売りに代表される農村の深刻な恐慌に見舞われる。1931年、関東軍は満鉄路線を破壊して満州事変を起こし満州国を建国する。そして満蒙は日本の生命線という言葉の通り、閉塞した日本経済の救世主として満州国は手放すことのできない日本の国土となってゆく。 一方清朝発祥の地でもある満州を侵略された中国は当然日本に反撃し、これが泥沼の支那事変から日中戦争へとつながってゆく。一方自国の権益に敏感なアメリカは、アジアでの日本の拡張政策を封じるために石油や屑鉄などの日本への輸出禁止を行う。これに対して日本は生命線確保のために仏印へ進駐するが、これがさらにアメリカの反発を生み、これまでに日本が獲得した満州国をはじめ中国、仏印の一切の権益の放棄を迫るハル・ノートとなる。しかしこれを認めることが決してできない日本は、真珠湾の奇襲攻撃で開戦に踏み切る。いわば窮鼠猫を噛む行動であるが、当時の日本に果たして他の選択肢があっただろうか。 生産性の低い当時の日本が世界恐慌に飲み込まれた時、政府は満州国の建国によってそれを緩和しようとしたが、これがドミノ式に太平洋戦争へとつながってゆく様子がよく分かる。それにしても 300 万人の犠牲者を出しながら、本土決戦を唱え、二度の原爆投下でやっとポッタム宣言の受諾に至る当時の指導者たちの無策さには暗澹たる思いがある。 本庄 巌(編集委員)
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