2015.6.1
 
Books (環境と健康Vol.28 No. 2より)

 

今西錦司 著

『岐路に立つ自然と人類−「今西自然学」と山あるき』


アーツアンドクラフツ ¥1,800+税
2014 年 10 月 15 日発行 ISBN 978-4-908028-02-1

 

 

 大腸菌をモデル生物として、「DNA は生命の設計図」と断言し、「ヒトゲノム計画」まで突き進んだ分子生物学は、20 世紀生命科学の覇者となったが、21 世紀に入り「人間とは何か」というテーマを前にして、閉塞感が漂い始め、「勝者の嘆き」の中にある。本書は同時代人としての人類学者、今西錦司(1902−1992)が科学的思考に対して放った光芒ともいえる 2 編の論考、「生物の世界」(弘文堂、1941)と「自然学の展開」(講談社、1987)を軸として、多数の関連エッセイを転載して、今西思想を辿り、分子還元論に傾斜した生命科学の危機的状況を乗り越えてゆく途の一つとしての「今西自然学」の再評価に資するものである。

 生命現象がすべて分子の機能に還元できるとして、首尾よくその重要分子を同定したとしても、次の日には関連する別の分子が標的となる。研究者にとっては、文字通り先陣争いの無限地獄が始まる。かくして、おびただしい生体分子が明らかにされたが、意味不明の DNA 配列(ジャンク DNA)や環境に応じて修飾される遺伝子の働き(エピゲノム)の前に、因果関係を追い求める科学的な生命観が行方不明になっているのが現状である。

 今西が 1941 年に 39 歳で著した「生物の世界」では、世界を構成している全てのものが、「もとは一つ」のものから分化発展し、その生成発展の過程で互いに結ばれた類縁関係として存在する有機的統合体との世界観が示され、あらゆる対象を分割して、数量化と形式化によって統治し支配できるという近代科学のイデオロギーと対置するものであった。

 また分子生物学的生命観が万能の 1980 年代に入ってからも、「自然学の提唱」を行い、悠然と生命現象の自然科学からの離脱を宣言した。その意図するところは、生物学的自然の解明であった。生物進化に関しては、難解な「変わるべくして変わる」との「主体性の進化論」であった。この謎めいた原理の前では、ラマルクもダーウィンも適応論者として同罪にされ、退場を命じられている。

 私事に亘るが、はじめて今西先生にお会いした場は、大阪府熊取町にある京都大学原子炉実験所で 1972 年に開催された「生命の起源」シンポジュウムの場であった。筆者は当時“分子生物学のメッカ”と考えられていた米国コールド・スプリング・ハーバーからの帰国後間もない 30 代後半であり、遺伝子重複を骨子とした「DNA の進化」について論考した。その講演の後、文化功労者に選ばれた 70 歳の先生が、「君は DNA の進化で、キリンも象も語れるのか 元気があって宜しい!」と声をかけて下さった。若者の成長を見守るリーダーとしての面目躍如たるものを感じた一瞬であった。

山岸秀夫(編集委員)