Editorial (環境と健康Vol.28 No. 1より) |
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人間みな兄弟姉妹 |
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山岸秀夫* |
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昨年の晩秋、京都市美術館で開かれた「二科展」を訪れた。そのデザイン部では、国連総会で提起された「子どもの権利条約」25 周年を記念して、特別テーマとして、「だれもが大切な“ひとり”」を取り上げていた。その権利には、(1)生きる権利、(2)育つ権利、(3)守られる権利、(4)参加する権利、等がある。2014 年のノーベル平和賞に、同条約の国際会議に貢献したインドのカイラシュ・サティヤルティさん(60 歳)と並んで、イスラム教の厳しい戒律の中で、11 歳の時から女性教育の権利を訴えてきたパキスタンのマララ・ユスフザイさん(17 歳)が選ばれた。しかしその直後に、パキスタンで勉学中の子どもに向けた銃乱射事件など数々のテロ事件が発生し、周辺諸国にも拡散しつつある。このように世界で常時多発しているテロ事件の背後には、政治や宗教にからむ信条の違いがあるにせよ、この地球圏で人間が生存するには、「互いに違うことを認める」(Agree to Disagree)以外に道はない。すなわち、新人(ホモ・サピエンス)として同じ種に属し、個人としては互いに兄弟姉妹の関係にあり、遺伝学的多型に富む多様な集団なのである。 このことを、畏敬する大野乾氏の遺作、「先祖物語」(羊土社、2000 年)を引用しながら、遺伝学の立場から考えてみよう。先ず全ての人には、必ず両親、二人が存在する。その両親にもそれぞれ両親があり、祖父二人、祖母二人の 4 人となる。すなわち 2 代さかのぼれば、4 人の異なる個性(遺伝的形質)が、現在の自分に混在していることは自明である。このようにして 5 代さかのぼれば 32 人、10 代なら 1,024 人、20 代なら 100 万人、30 代なら 10 億人という先祖が想定される。これはいわゆるネズミ算で、ネズミ講のトリックもここにある。現在の少子高齢社会での結婚年齢は高齢化しているので、1 世代は 30 年前後であるが、歴史的には1 世代ほぼ 20 年である。そうすると 5 代前は 100 年前ということになり、大正時代である。10 代前は 200 年前で幕末期、20 代前は 400 年前の江戸時代初め、徳川幕府が鎖国を始めたころで、100 万人の先祖が想定されるのである。しかし当時の日本の人口総数を 2,500 万人としても、まだ 100 万人都市は存在していなかった。30 代前、600 年前となると室町時代初期で、ご先祖様は 10 億人となってしまう。このように一見、先祖が無限に拡大していくように見えるということは、当時の自分自身の祖先が逆に割合少数であったということを意味する。 50 代前、1,000 年前ですら、計算上の先祖の数は 1 千兆人と、天文学的数字になるので、約 3 万年前の最後の氷河期にアジア本土からベーリング海峡の陸橋を渡って移住した、北米現住の人びと(アメリカ・インデアン)と日本人の先祖も、5 万年前(2,500 世代前)にさかのぼれば、ほぼ共通ということになる。10 万年、20 万年とさかのぼれば、後にヨーロッパ人と呼ばれる人々の先祖と共通となり、40 万年、50 万年前のアフリカでの人類(新人)発祥を考えると、アフリカ人と共通の祖先を分け合ったことになる。すなわち無限の祖先があるわけでなく、その一部の祖先を分け合って世界に拡散した兄弟姉妹である。このように考えると、現世界に住む人々の祖先となりえた少数の人々は、地球環境の極めて過酷な激変のリスクを生き延びた幸せ者であって、かつて本誌 19 巻 2 号(2006 年)Editorial で、「進化パチンコ論」として紹介した、「当たり玉」ということになる。 ところで全ての現存する生物の遺伝情報は、基本的には細胞核内 DNA の 4 種の塩基の配列にある。ヒト(現生人類)では、大腸菌のほぼ千倍の情報量があるが、そのうちの数パーセントが遺伝子として利用され、その遺伝子数は高々 10 倍で、数万程度である。遺伝子は 23 本の染色体に分布して、生殖細胞の精子や卵子として存在する。私どもは、それぞれの両親から両者を受け取って、46 本の染色体からなる体細胞を形成する。その 1 個の細胞(受精卵)が母親の胎内で、9 か月のうちに平均 6 日に 1 度、45 回程度の分裂を繰り返して、細胞数 30 兆前後、体重 4 キログラム程度の新生児が誕生する。そして成人して次世代の親となっていく。体細胞の分裂の上限をほぼ 50 回としてもまだ十分に余裕がある。その際無数の細胞分裂が繰り返される訳であるが、コピー・エラーを校正する機能が備わっていて、その精度は極めて高く、100 万年経っても、誤字(塩基置換)は 0.1 %程度に過ぎない。しかも機能遺伝子の 3 分の 2 程度には個人差はなく、その営む機構が生存のためにあまりにも必須であるため、ほぼ1 億年前の哺乳類の発祥以来変わらずに温存されている。 それでは、兄弟姉妹の間での遺伝的個人差とは如何なるものであろうか。先ず第 1 に、残りの 3 分の 1 の機能遺伝子に見られる遺伝的多型である。その著名な例を挙げると、臓器移植に際して問題とされる、主要組織適合抗原遺伝子複合体(MHC)の多型である。MHC 抗原は、クラス I 型と II 型に大別され、前者はほぼ全ての細胞で発現されて細胞性免疫の標的となり、後者は免疫系細胞に発現されて体液性免疫を活性化して、抗体を産生する。この免疫系は自己抗原には寛容で、異物のみに反応し、自他を識別するのが特徴である。ヒトの MHC 抗原は HLA 抗原と呼ばれ、クラス I 抗原として、重複した A、B、C の 3 遺伝子が第 6 番染色体上に連鎖して同時に発現し、クラス II 抗原としては、同様に DR、DP、DQ の 3 遺伝子が発現している。しかもクラス I の HLA-A には 50 種、HLA-B には 97 種、HLA-C には 34 種の多型が存在するので、その計算上の組み合わせの総数は 16 万 5 千、クラス II のHLA-DR には 20 種、HLA-DQ には 9 種、HLADP には 67 種の多型が存在するので、組合せ総数は 1 万 2 千となる。しかしこれらの遺伝子は染色体上で互いに近くに位置するので、無数の組み合わせの内、特定の 1 セット(ハプロタイプ)として次代に遺伝する。したがって各個人は、兄弟姉妹といえども、両親に由来する異なるHLA ハプロタイプを持つことになる。各ハプロタイプの集団内での出現頻度には著明な人種差が存在するが、その多型が温存されていることは、多数の個体が共存しても、近親交配が少ないことを物語っている。当然臓器移植の際は、両者のハプロタイプの一致が望ましいが、1 セットのハプロタイプに限定しても、その一致する確率は、日本人間で約 100 分の 1、西洋人間では約 1,000 分の 1 程度に過ぎない。しかしながら現存人類のクラス I の HLA-A、50 種の内、20 種について作成された系統樹によると、その全てがすでに 100 万年前に存在しており、現代人が由来した新人はまだ存在しない原人(ホモ・エレクトゥス)の時代にさかのぼる。 第 2 にあげられるのは、ヒトの遺伝情報の大半、90 %を占める、機能を発現していないジャンク DNA(がらくた DNA)で、脊椎動物の進化途上で捨て石として生じた、遺伝子重複の産物である[オオノ・ススム:遺伝子重複による進化、Springer-Verlag, New York(1970)、山岸秀夫・梁永弘(訳):岩波書店(1977)、4 刷(1999)、オンデマンド復刊(2015)]。その多くは繰り返し配列であるために、コピー数の誤算が頻繁に生じるのである。したがって、そのコピー数をもって、指紋代わりに、個人差の認定に用いられている。もっともジャンク DNA の中にも RNA に転写され、タンパク質の発現調節に関与する他、繰り返し構造のタンパク質を発現している例も知られている。第 3 に考えられるのは、出生後に後天的に組織細胞にモザイク状に生じる個人に依存した小欠失変異であるが、その機能との関連は不明である。 以上の考察から、私共の祖先はほぼ 100 万年前にアフリカに生存していた原人の中に見られ、現代人の直接の先祖である新人は、ほんの 10 万年前ごろにアフリカから世界へと拡散し、多種の遺伝的多型を財産として、幸運にも地球環境の激変の中を生き延びて、多様な小集団を形成したといえる。このような大局的見地に立てば、誰もが大切な“ひとり”の兄弟姉妹として、地球規模で人類が団結し、助け合い、平和で争いのない世界を築くことは、後代に果たすべき当然の使命ではなかろうか。
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