2014.12.1
 
Books (環境と健康Vol.27 No. 4より)

 

石井光太 著

浮浪児 1945 −戦争が生んだ子供たち


新潮社 ¥1,500+税
2014 年 8 月 10 日発行 ISBN 978-4-10-305455-9

 

 

 先の太平洋戦争は日本人にさまざまな不幸をもたらしたが、戦後に具体的な形で我われが目にしたのは傷痍軍人と戦災孤児であった。なかでも戦災孤児の数は 12 万人に達したとされており、その多くが浮浪児となって東京をはじめ戦後の日本の街をさまよった。

本書は浮浪児を経験した約 100 名へのインタビューによって、今までかえりみられなかった浮浪児の実態に迫った貴重なドキュメンタリーである。

 本書冒頭の 15 歳の少年の遺書は涙を誘うものがある。11 歳の時に戦災で家族を失った少年は浮浪児として 4 年間飢えと苛酷な環境に耐えるが、遂にその苦しみから逃れるため母を恋いつつ服毒自殺を遂げる。自殺ではなくとも飢死や病死、あるいは凍死などと次々と命を落としてゆくいたいけな子供たちの姿が生存者の証言で語られてゆく。

 始まりは米国による東京など日本の大都会の無差別空爆であった。なかでも終戦 5 か月前の東京大空襲は東京の街を火の海とし 10 万の都民の命を奪う。その時親とはぐれて一人生き残った子供たちが孤児となるが、そのほか疎開地から東京に帰って一面の焼け野原と父母の死を知った不幸なケースもある。彼らは一様に焼け残った上野駅の地下道に集まり、物乞い、スリかっぱらい、靴磨き、新聞売りなどで生きて行く。また女児はおにぎり一つで体を売るケースがあり、やがては街娼に身を落とすものも少なくなかった。浮浪児たちは定期的な警察の取り締まりで都下の孤児院に収容されるが、乏しい食事と自由のない環境に耐えられず、逃げ出して上野に還る子供があとを絶たなかった。彼らは現在アメ横となっている闇市でも下働きや担ぎ屋をやって貪欲に生きて行く。このころは人情が残っていて特攻隊くずれのヤクザや上野の街娼達に食べ物を与えられ庇護を受ける者もあった。なかでも練馬区の「愛児の家」には園長の人柄と食事に惹かれて多い時には百人の孤児たちが集まっている。ここから逃走するものは稀で成年に達するとそれぞれ職業につき家庭を持つが、その人生は決して平胆なものではなかったようだ。

 終戦時 10 歳であった孤児もインタビューの時には 75 歳を超えており、それぞれの「がむしゃら」に生きてきた懐古談には心を打つものがある。著者が述べているように今を逃すと戦災孤児のドキュメンタリーは成立しなかっただろうし、戦争体験のない日本人が大半を占めるようになった今だからこそ、かつての戦いが残した傷跡をこのような切り口で検証した本書の意義は大きい。

       

本庄 巌(編集委員)