2014.3.3
 
Books (環境と健康Vol.27 No. 1より)

 

ピーター・バーンスタイン 著(青山 護 訳)

リスク−神々への反逆 上・下


日本経済新聞出版社(日経ビジネス人文庫) 各巻 ¥ 714+税
2001 年 8 月 1 日第 1 刷発行、2013 年 8 月(上)14 刷/(下)
10 刷 ISBN 978-4-532-19079-8/ISBN 978-4-532-19080-4

 

 

 昨年 12 月、京都健康フォーラム 2013 の最終回「食と心は関係するか?」で石井均教授が「医学は全部確率」と述べていたように、医学・工学などの応用科学には確率やリスクで表されるような不確実性が必ず伴う。しかし、リスクを語る様々な分野の専門家で、その基礎となる統計学、確率論がどのような先人たちによって創られたのかを詳しく知る人は少ないであろう。また、その発展がどのような社会的背景の下になされたかについては、なおさらそうであろう。

 本書の原書は 1996 年に、また日本語版は 1998 年に刊行されているが、その後文庫版として出版され、版を重ねている。出版社も訳者も経済畑なので本書を手に取るまで主題の深い意味合いは汲み取れなかったが、ページを進めるにつれてこれは只ならない著作であることが分かった。「訳者あとがき」で述べているように、本書は「単に金融や証券投資分野に固有の」ものではなく、「まさに『現代』を理解し、『未来』を展望するための人類思想の歴史を語る壮大な書物」なのである。

 評者は原子力安全の立場からリスク問題には深い関心を持ち、わが国における関連分野の成熟度の遅れを憂いてきた者のひとりであるが、本書を紹介する動機は、本書に登場するこの分野の歴史的先駆者がどのような視点で「リスク学」と呼んでよい数理科学と社会科学が融合したこの分野に取り組んできたかを学ぶことで、読者がリスクに関連のあるいずれかの領域の専門家であるのか、また単に複雑化した社会の一員であるかにかかわらず、大変参考になることと感じたからである。ただこの文庫版の下巻では投資分野を中心的題材としているので、工学や生物・医学の専門家には興味の薄いことかもしれない。

 ルネッサンスを経て17 世紀に数理科学で確率論や統計理論は目覚しく進展した。そこにはパスカルやフェルマが登場する。世紀が改まり、ダニエル・ベルヌーイは「大数の法則」を確立した。彼は華麗なベルヌーイ一族の一員であるが、原子炉の流動に関心を持つ評者などはベルヌーイの定理としてその名を記憶している。ベルヌーイは現在われわれが理解しているリスクの定義に沿った議論を展開している一方、「個々の人間が予期しうるリスクは等価値でなければならないと考える理由はない」と述べる。3.11 の影響をどの被災者も等価値的に受けているのではないことで被災地の問題は複雑になっていることに思いが及ぶ。更に統計・数理学上の巨人、ド・モアヴルやベイズが登場する。ド・モアヴルは正規分布に神の意思を視る。神々がリスクにどのように関わってきたのか、また「反逆」は何を意味するのかを限られた紙数の中で紹介するのは評者の能力を超えている。是非とも本書を繙いてほしい。ただ言えることは、その神々は安全神話の著者ではない。「神話」は神々の成せる技の人間による叙述にすぎない。

西原英晃(京都大学名誉教授)