2013.12.2
 
Books (環境と健康Vol.26 No. 4より)

 

木村正俊 著

ケルト人の歴史と文化


原書房 ¥ 3,800+税
2012 年12 月 28 日発行 ISBN 978-4-04873-1

 

 

 ケルト人について私たちの知識は希薄である。私の乏しい知識ではアイルランドやウエールズ地方に住む人々がケルトの末裔で、ストーンヘンジは彼らの信仰と関係があるらいといった位であった。今回本書で彼らの歴史を驚きをもって知ることができた。これまでケルトを分かりにくくしてきた原因は彼らに文字がなく歴史を記さなかったこと、いま一つは被征服民族のため、歴史から忘れ去られていたことがある。しかし私にとっての驚きは、シーザーのガリア戦記に出てくるガリア人はケルト人であり、当時彼らは現在のドイツ、フランスから東ヨーロッパにわたる広範な地域に居住していたことである。

 ケルトは青銅器時代に現在のオーストリア地方に興り、鉄期時代には現在のスイスを中心とする広範な文化圏に移ってゆく。ケルトの版図を示すケルト語からの都市の名にはパリ、ウイーン、ミラノ、チューリッヒ、リヨン、ボローニアなどがあり、ドナウ、ローヌ、セーヌ、ラインなどの河の名もケルトの地名や部族名に由来するとされている。

 ケルトの最盛期は紀元前3 世紀頃でその版図はその後のローマ帝国のそれとほぼ等しく西はイベリア半島、東は現在のトルコにおよび、北はブリテン島からアイルランド、南はアルプスを越えて南イタリアのポー川流域にまで及んでいた。しかしこれを統一する強力な王権がないためもあり、紀元前1世紀、ローマ帝国・シーザーの遠征によって亡ぼされ、民族はブリテン島に逃れる。しかしその後、4 世紀から 6 世紀にかけてのゲルマン民族の大移動に伴い、その一派のアングル人、サクソン人のブリテン侵攻で彼らはさらにウエールズ、スコットランド、アイルランドに追いつめられ、一部は海を渡ってブルターニュに逃れて現在に至っている。彼らの文化は精巧な金細工の装身具、複雑なデザインで装飾された福音書、アーサー王の伝説やトリスタン物語、十字架に円環を組み合わせた独の十字架、抽象的な図像を彫り込んだ巨大なシンボル・ストーンなどに残されているが、ストーンヘンジについては本書では触れられておらず、これはケルト人渡来以前の先住民族の遺産と思われる。

 今日の西欧文明はギリシア・ローマを源流とし、その後ゲルマンやラテン文化として花開くことになるが、その深層にはかつてヨーロッパ大陸のほぼ全土にわたったケルトの文化が存在し、私たちはそれを知ることによって西欧文明をよりよく理解できるのである。

本庄 巌(編集委員)