2013.12.2
 
Editorial (環境と健康Vol.26 No. 4より)


科学の不正行為


今西 二郎

 

 

 最近、相次ぐように科学の不正行為に関する事件が、起きている。昨年の山中教授のノーベル医学・生理学賞の受賞決定直後に、関東地方の研究者が、iPS 細胞の臨床試験をでっちあげたりしたことは、まだ耳新しい。また現在、一連の高血圧の薬に関する論文の不正発覚・撤回で、大きな社会的問題にすらなっている。

 科学者(研究者)によるさまざまな不正行為は、今に始まったことではない。古くは、プトレマイオスがギリシャ人の天文観測データを自分のものとして使用したことはよく知られている。さらに、ガリレイが思考実験を実際に行ったかのように述べていること、あるいはメンデルが遺伝法則に合わないデータを故意に伏せていたこと、モアッサン(ノーベル化学賞を受賞)が人工ダイアモンドを合成したと発表したが、実は弟子が捏造していたことなど枚挙に暇がないのである。よく知られた科学者でも科学の不正行為として多くの疑惑の目が向けられ、実際に不正が行われていたことが多々ある。まして、日の目を見ていない不正行為は、無数と言っていいほどあると想像できる。

 科学者による不正行為とはいったい何なのか。2003 年6 月にまとめられた「科学における不正行為とその防止について」という日本学術会議「学術と社会常置委員会報告書(関口尚志委員長)」によれば、科学的研究の目的、計画、遂行、成果に関わる全ての過程において科学者の行為を律する公式、非公式の規範からの逸脱であるとしている。もう少し具体的に言うならば、研究の遂行、成果の発表に関するものが中心で、研究倫理、研究遂行時の安全や技術的成果の安全審査、点検、修理とその報告の適正さも対象とされる。

 研究の遂行や成果の発表においては、不正行為として、捏造(Fabrication:存在しないデータの作成)、改ざん(Falsification:データの変造・偽造)、盗用(Plagiarism:他人のアイデアやデータや研究成果を適切な引用無しで使用)を問題とすることが多い。これらの 3 つを合わせて FFP という。しかし、このほかにも不適切なオーサーシップ、重複引用、引用の不備・不正(先行例の無視、誤認や不適切な引用、新規性の詐称など)、研究過程における安全の不適切な管理、実験試料の誤った処理・管理、情報管理の誤りなどが存在する。また、研究グループ内の人間関係や研究成果の帰属に関する問題などさまざまな不正行為があると考えられている。さらには誇大な表現、都合のよい誤解をさせる表現を用いること(レトリックの誘惑)などの不正もある。さらに、最近問題となっているのは研究組織内におけるセクシャルあるいはアカデミックハラスメントなども含まれる。

 このように不正行為といっても、じつに多くの種類のあることがわかる。この中で、最も多く行われているのが、データの捏造と改竄である。やりもしない実験や調査、観測データを作り出すということである。これには生データが存在しないことになるので、後から捏造が行われたどうか検証するのは、本人に生データの提出を求めれば、比較的簡単であることが多い。また、この中には、例えば、旧石器発掘捏造事件のようなものもある。これは、ある有名な考古学研究者が、あらかじめ自らの手で埋めて置いた石器を発見していくというやり方であった。これも 1 種の捏造といえるであろう。

 それではなぜ、このような不正が、頻繁に行われるのであろうか?それには、いくつかの理由があると考えられる。1 つ目は、研究者の研究業績の評価は、研究者としての地位を確保するために、すなわち昇進のために必要なのである。2 つ目は、研究を進めていくためには研究費を確保することも研究者にとっては、死活問題となる。よい研究業績を上げていると評価されている者に、研究費が与えられるからである。将来、素晴らしい研究成果があげられるという予測や期待だけでは、なかなか研究費の獲得は難しいのが現実である。3 つ目は、よい研究成果を上げることにより、さまざまな賞を得、名誉が与えられることにもつながっていくことである。4 つ目は、利益相反(conflict of interest)の問題がある。たとえばある企業より研究費をもらったり、その他の便宜供与を受けている場合、意識的に、あるいは無意識下にその企業にとって有利な結論を導いてしまうことがある。このようなことも、科学の不正行為につながるのである。

 一般に研究者の能力評価は、どのように行われるのであろうか。研究者の能力評価は、多面的に評価されるとはいうものの、最重要視されるのは、研究業績の評価である。なかでも、自然科学の場合は、原著論文(自分で行った研究成果を発表する)が、重視される。そして、権威のある雑誌に、いくつ発表されたかで判定される。すなわち、質と量が問われるのである。量の評価は、単純で論文の数である。ここにデータの捏造をして、論文の数を増やしたり、2 重投稿(同じデータを使って複数の論文に仕立てる)という不正行為が起こってくる。

 質についての評価は少し複雑である。一つは「権威のある雑誌」に発表されることで評価される。「権威ある雑誌」であるという評価は、一般に、その雑誌に載っている論文がどれだけ、他の論文で引用されているかという被引用数を基にした指数(インパクトファクター)で表される。ただ、この場合、その雑誌に被引用数の高い論文があれば、その雑誌のインパクトファクターを上げることになり、必ずしも、自分の論文が引用されていなくてもよいことになる。そこで、最近では、自分の論文がどれだけ引用されているかで評価することも行われている。しかし、この方法も絶対的な指標ではない。このように、研究者としての評価を得ようとするには、まずは「権威ある雑誌」に論文を発表することなのである。そこに、研究にまつわる不正が起こってくる誘因がある。

 前述したように最も頻繁に起こる不正は、データの捏造と改竄である。最近では、データの捏造や改竄が、データのデジタル化により、証拠を残さずに、あるいは生データを示すことができない状態で行えることで余計に簡単に研究者がこのような不正行為の誘惑に駆られるのかも知れない。一昔前までは、生データは、紙に書いたデータであったり、せいぜい記録紙に印字あるいは描かれたグラフであったりしたもので、直接、デジタル・データとして取り扱えなかったのであるが、現在は、表計算ソフトや画像ソフトに直接データを取り込むことができることが多い。したがって、生データそのものを改竄することは、いとも容易なのである。数値を変えることも、画像を変えることも、誰もができるのである。しかも、改竄の証拠を残さないようにすることもできる。さらに、生データのコピーと改竄を繰り返せば、あらたに偽のデータを作り上げること(捏造)もできるのである。

 それでは、このような科学の不正行為を防止するにはどのようにすればよいだろうか。アメリカやヨーロッパ諸国では、これらの防止策としてそれぞれ公的な機関を作って取り組んでいる。アメリカでは、健康福祉省(US Department of Health and Human Services)内の公衆衛生庁(Office of Public Health Services)に研究公正局(Office of Research Integrity)が置かれ、ガイドラインの策定、不正行為の告発の受付やその調査および結果の公表、不正行為防止の啓発活動などを行っている。ヨーロッパ諸国でも同様な活動が行われている。しかし、日本ではまだこのような機関はなく、この点きわめて遅れているといえる。不正行為が疑われたり、告発があった場合、研究者の属している機関、学会などが調査委員会をその都度立ち上げて、調査しているのが現状である。常設の第三者機関のようなものが必要であろう。

 投稿された論文内容が科学雑誌に掲載されるに値するかどうかを決めるのは、その研究領域に精通している複数の研究者が判定する。これをピアレビューというが、この段階で、データの捏造や改竄があるかどうかを見抜けばよいとの意見もあるが、実際上は極めて困難である。なぜなら、この段階で、生データを要求することはほとんどないからである。不正行為の防止で最も重要な対策としては、こういった不正行為が起こらないようにする予防策である。また、学会や研究機関などの組織としてこれらの不正行為が起こらないようなガイドラインを策定することも必要である。

 さらに、最近話題になっているのが、薬などの効果や安全性を検証する臨床試験(治験ともいわれる)に関するものである。治験については、国際的なガイドライン ICH-GCP(International Conference on Harmonization - Good Clinical Practice)があり、これに則って実施されるように決められている。GCP は、医薬品の臨床試験の実施に関する基準とされ、人を対象とする治験の計画、実施、記録および報告に関し、その倫理的、科学的な質を確保するための国際的な基準である。本基準を遵守することによって、被験者の権利、安全および福祉がヘルシンキ宣言に基づく原則に沿った形で保護されること、また臨床試験(治験)データが信頼できることが公に保証されるのである。ICH-GCP ガイドラインは、日本、欧州連合(EU)および米国の3 極間での治験データの相互受入れを促進するため、これら 3 極間に統一基準を提供することを目的としている。また、ICH-GCP ガイドラインに規定されている原則は、被験者の安全および福祉に影響を及ぼしうる他の臨床研究にも適用され得るものである。このようなことから、ICH-GCP ガイドラインは、治験を行う際の基準になるものである。しかし、これとて、完全ではなく、治験の生データを保管しておく第三者機関のデータセンターの必要性も指摘されている。さらに、利益相反の公表も必要不可欠である。これについては、最近、ほとんどの場合、公表されるようになってきている。不正行為が起こった事後の対策としては、前述したように独立性の高い常設の第三者機関が設置され、そこで、不正行為の告発の受付、その調査過程や、結果の公開がなされるとされている。科学、とりわけ生命科学においては、先ほど述べたようなさまざまな理由で、不正行為が起こりがちであり、また社会に対する影響もきわめて大きい。それだけにわれわれ研究者としても、このような科学における不正行為を未然に防止する努力をしていかねばならないのである。そのためには、学部学生、大学院生、若手研究者に対する研究倫理についての教育が重要であると思われる。


明治国際医療大学教授(統合医療学)、京都府立医科大学名誉教授(免疫・微生物学)