Books (環境と健康Vol.26
No. 2より)
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スティーヴン・グリーンブラット 著(河野純治 訳) 一四一七年、その一冊がすべてを変えた |
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柏書房 ¥2,200+税 |
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先ず題名に惹かれて本書を読み始めてみた。後で分かったが原題はそれほど大げさなものではなく「世界が近代になった訳」といったものであった。2012 年のピュリッツアー賞受賞作の由であるが、古代ギリシア・ローマからルネッサンス期までの出来事が延々と語られ、いささかうんざりしつつ読み進んでいるうちに、ポッジョ・ブラッチョリーニが 15 世紀に発見しすべてを変えたとされる、ティトゥス・ルクレティウスの書物「物の本質について」そのものが、果たして存在したのだろうかという疑問を持つにいたった。そこでルクレティウスの「物の本質について」をネットで探したところ、今では古書となっているが、確かに実在する書物で岩波文庫(初版、1961 年 8 月 25 日)にあることがわかったが、既に絶版で重版の予定もないとのこと、やむなくアマゾンで定価の十数倍の値段で購入して読んでみた。以下はこの二冊の書物の読後感であるが、正直なところいずれもやや驚きの書物ではあるが、わざわざ購入して読むほどのものではないことを予めお断りし、代わってその概略をご紹介したい。 15 世紀初頭、かつてローマ教皇に公文書の書記官として仕えていたブラッチョリーニは、教皇の失脚後ギリシャやローマ時代の古文書の発掘にとりつかれ、南ドイツの修道院を訪ね歩いていた。そしてある修道院の図書館で発見した羊皮紙の古い写本が古代ローマの哲学者ルクレティウスの哲学的叙事詩「物の本質について」であった。何人かの筆写人の手を経て五十冊以上の写本になり後には印刷されて世に広まり、中世のキリスト教の桎梏から自由ないわば危険なこの書物がルネッサンスの夜明けをもたらしたとされている。私は原子論には全くの素人であるが、今から2000 年余り前の時代に、物質の本質はそれ以上に分けられない原子とよぶ要素からなるということを、思索だけで認識した哲学者がいたということに驚いている。同時に零の概念を発見したインドではどうだったのかを知りたいところである。 「物の本質について」は 6 巻からなる叙事詩の詩形で綴られた膨大なものであり、その内容も死の恐怖に打ち勝つ思考法や生命を生み出す春の息吹、あるいは感覚についての考察などにわたるが、大地は平たく太陽や月が地球の周りを回っていると信じているなど、現代から見れば間違った認識も数多く見られる。しかし万物は原子と空間よりなるというレウキッポスに始まり、デモクリトスが発展し、エピクロスによって受けつがれたとされる原子論が本書の第 1 巻から第 2 巻にかけて繰り返し述べられていて我々の眼を引く。 すなわち、物質の一部は原子であり、また一部は原子の結合によって形成されるもので、原子は強固で永遠に毀損されることがなく間断なく飛び回っている。宇宙はすべて原子で構成されており、何物も無から生じず、かつ一旦生じたものは無に帰らないので、新しいものを再生しうる不滅性を備えている。重要なのは同じ原子がいかなる原子といかなる状態で結合されるかという点であり、同じ原子の間でも相互にちょっと変えただけで、火が生じたり、また木が生じたりするが、これは言葉でアルファベットを相互に少し変えただけで火と木とを区別するようになるのと同じである。死が物を亡ぼすとしても原子を砕きつくすことはなく、ただ原子の結合を飛散させるにすぎず、また他の原子と他の原子とを結合せしめるなどと述べられており、これらの考えは現代の原子論と比べてもその原理的な部分では共通するものがある。また宇宙に関しては、宇宙はいずれの方向にも極限がなく、また決して神々によって造られたものではないと述べ、霊魂の不滅や転生を否定し、魂は肉体を変えて移り変わり不死であるというのは空虚な理論であり、肉体が死亡すれば魂も散って死滅してしまうと述べている。 このように現代に通じる自由な発想ができたのは、ひとえにキリスト教的権威がヨーロッパを支配する前のローマに於いてであり、その後の長い中世の暗黒時代を経て、人間本位を謳歌するルネッサンスの幕開けの時代にポッジョによる本書の再発見があったとする本書の物語はある意味では真相をついていると思われる。 本庄 巌(編集委員)
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