2013.3.3
 
Books (環境と健康Vol.26 No. 1より)

 

門田隆将 著

死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日


PHP 研究所 ¥1,700+税
2012 年 12 月 4 日発行 ISBN 978-4-569-80835-2

 

 

 本書は東日本大地震とそれに伴う津波によって起きた福島第一原発事故に、現場の人々がどう立ち向かい、事故による放射線被害を食い止めるためにどう闘ったかを、第一原発所長吉田昌郎氏のインタビューを中心に述べた貴重なドキュメンタリーである。

 2011 年 3 月 11 日、未曾有の規模の東日本大地震と津波は海岸線に並ぶ福島第一原発を襲い、その様子を伝えるテレビの映像はまだ私たちの記憶に新しい。門外漢の私にも原子炉の温度が上がりつつあること、これを冷却するには海水の注入しかないこと、原子炉の圧を外に逃がす「ベント」について議論があったこと、白い噴煙を上げる建屋の水素爆発の映像、自衛隊機による散水や消防車による海水注入などなど、いずれも祈るような気持ちで映像に見いったことを思い出す。しかし強い放射線や建屋の爆発の危険のその時、いかなる人たちがどのような気持ちで困難な作業に携わったか、そしてその困難な作業の具体像などについては、テレビや新聞が伝えるところは全くなかった。これは已むをえないことでジャーナリストは誰ひとり危険な現場に入ることはできなかったし、現場の人々がそのことについて発言することもなかったのである。ちなみに吉田所長が家族と電話連絡できたのは事故後一週間目のことで、それまで家族に方々は生存すら諦めておられたとされている。これまでにもいくつかのドキュメンタリーの著書を手掛けた著者の門田氏は、事故後間もなくの時期から粘り強い取材を続け、事故最前線で指揮を執った吉田所長や危険を知りつつ突入を繰り返した中央制御室の職員たち、同じく献身的な活動をした自衛隊の隊員たち、そして菅元首相、東電武藤副社長、原子力安全委員長斑目氏など 90 名を超える人々からの聞き取りに基づいて、500 日にわたる原発事故の全容に迫る壮大なドラマを書き上げている。

 本書を読んで、遅まきながら知ったことは福島原発の事故がこれほどの災害をもたらしたのは施設の全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなったためで、勿論その原因は海抜 10 メートルの安全地帯に設けられていた電源施設への想定を超えた津波の襲来であった。そのために上昇する原子炉の圧力を逃がすベントの作業は高い放射能と暗黒の建屋の中に入り、人の手で行なわなければならないという最悪の事態となった。迫ってくる時間と上昇する放射能との戦いの中で、一部のベントには成功するがそれ以外では断念せざるを得ず、これが次々に起こる水素爆発につながってゆく。周囲の反対を押し切ってヘリコプターで現地入りする菅元総理は、原発事故の知識をある程度持っており、いきなり「なぜベントをやらないのか」とつめよるが、本書の中で語られる一国の総理の冷静さを失った言動はやはりいかがなものかと思わせる。そして本書の圧巻は事故から 4 日目の午後、一号機、三号機の爆発に続いて二号機の格納容器の圧が上昇し容器爆発という最悪の事態が想定されるようになった時、吉田所長はそれまで免震重要棟に残っていた 600 名あまりの現場の人々に退去命令を出す。そして必要最小限のスタッフ 60 余名が死を覚悟して残る。その時退避を拒否した三人の若者を説得した女性職員の言葉「あなたたちには第二、第三の復興があるのよ」の場面は涙なしには読めない。今振り返るとこれらの決死隊のお陰で最悪の状態は避けられたが、その時点では吉田所長は福島の海岸に並ぶ 10 カ所の原発全てに爆発が波及し、チェルノブイリ事故の 10 倍の放射性物質が放出される事態も想定していた由で、そこに残るということはまさに決死的な行動であった。

 こうして見るとやはり原発を熟知する現場の技術者集団の判断を信じ、その行動を援助し見守るという官邸の度量と東電本社の責任感がもう少しあればと思わざるを得ない。これに比べ名もない現場の人達の勇気ある行動は、いろいろ言われているけれど日本人も捨てたものではないなと思わせる。本書は決して英雄物語ではないし、また著者が冒頭で断っているように原発の是非を問う書物でもない。己の職業に誇りを持ち、愛する人達の為に自己を犠牲にしても使命を果たそうとした勇気ある人々の物語である。

 

本庄 巌(編集委員)