Editorial (環境と健康Vol.26 No. 1より) |
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山岸秀夫* |
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春の訪れを実感させてくれる花は、何と言っても梅である。京都の北野天満宮では、祭神の菅原道真公の命日にあたる、2 月 25 日の早春に梅花祭が行われ、梅園には、白梅、紅梅、淡紅梅と、色とりどりの花の香りが漂う。筆者の住む城陽市にも、南部に有名な青谷梅林があるが、毎年近くの正道官衙(奈良時代の郡役所)遺跡公園を訪ねて、梅の木の枝に咲き分けた、ピンクと白の花模様をめでるのを楽しみにしている。4 月も中旬になると、京都大学理学部付属植物園に植えられた、ハナモモには、枝だけでなく花弁も含めて、文字通り桃色(ピンク)と白に咲き分けた見事なモザイク状の花柄が、毎年異なった模様として見られる。平安の昔の源氏と平氏の旗の色に因んで、世に人は源平咲きとも呼んでいる。しかし、このように多様な姿の梅も桃も、それぞれの種としての「いのち」を連綿として、世代から世代へとつないで、今日に至っていることに変わりはない。 時代を 19 世紀の中頃に遡ってみると、オーストリアのブルノ(現チェコ共和国領)の修道院にいた G.J. メンデルは、その中庭で、8 年間に亘ってエンドウを育て、その交配実験の結果をブルノ自然学会誌に 1865 年に掲載した。その結果は、親から子に連綿として伝えられる不変の遺伝的因子(遺伝子)の存在を確信させるものであったが、その成果が「メンデルの法則」として確立されたのは、彼の死後、3 人の植物遺伝学者によって独立に再発見された、20 世紀の幕開けの 1900 年であった。すなわち、遺伝子型(原因)と表現型(結果)との因果関係を明らかにした、要素還元的手法の勝利であって、以後20 世紀の遺伝学の主導原理となる。 20 世紀に入ると、ショウジョウバエのような世代交代の早いモデル生物を用いて、遺伝学は急激な進歩を見せ、これまで概念的な存在であった遺伝子が、細胞分裂中に観察される染色体上に実在することが明らかになった。20 世紀も中頃になると、第 2 次世界大戦後、モデル生物として、単細胞の微生物が、多細胞生物に代わって用いられるようになり、とりわけ大腸菌とその寄生ウィルス(ファージ)の系で、生体高分子としての DNA が遺伝子の実体であることが、1952 年に最終的に証明された。その翌年の1953 年には、遺伝情報の複製を説明するのには申し分のない、DNA 二重らせんモデルが提出された。引き続き 10 数年の間に、巨大なDNA 分子から、各遺伝子に必要な情報を転写する RNA 分子が同定され、RNA の情報を実際に細胞内で働くタンパク質に翻訳する機構が解明され、遺伝子の働きを分子のレベルで探究する分子遺伝学が誕生した。1 個の大腸菌細胞でさえ、環境次第で、必要な栄養物を合成するべきか、消費してエネルギーに変換するべきかを選択する機構を備えていることも明らかになった。 20 世紀も後半になると、分子遺伝学は高等動植物まで普遍し、全ての生物の遺伝情報(ゲノム)が、4 種の有機塩基の配列として記載されることになった。20 世紀末には、国際的な研究協力の成果として、ヒトゲノムの32 億の塩基からなる概略配列が発表され、総数 22,000 個の遺伝子配列が同定されたが、全ゲノムの 2%にも満たないものであり、残りのゲノムの役割が未知のものとして今世紀に持ち越された。おそらくその大部分は、ウィルス感染を含む、遺伝子の重複と変異による進化の過程で、不要となった遺伝子の墓場だと考えられていた。 今世紀に入って、DNA 塩基配列決定技術が急速に進歩し、遺伝学は大きく革新されることになった。まずヒトゲノムの 1%に絞って、147 種の細胞株を用い、より詳細な遺伝子解析がなされた。その結果、これまで遺伝子の墓場だと考えられていた DNA の大部分に、各遺伝子の発現を調節する役割のある事が明らかにされた。これはまだ全ヒトゲノムの役割の解明を目指した ENCODE(DNA の百科事典)計画の一端であって、昨年秋に Nature 誌に掲載された6 編の論文から、その一部を垣間見ると、あたかも一つの遺伝子を作動させるのに必要な、能力の異なるアクセルとブレーキが多数あり、しかもそれぞれが複数の遺伝子の発現に関わっている図式が伺える。まさに遺伝子発現の調節機構自体がネットワークをなしている。ここでは、形質発現を結果する因子としての遺伝子の、これまでの定義自体の見直しが迫られている。すなわち、たとえ一卵性双生児として同一のゲノム構成の受精卵から発生を始めたとしても、各発達段階での遺伝子の発現は、種々の環境要因によって、微妙に多様化することが考えられる。遺伝子発現を、複数のアクセルとブレーキを持った自動車の運転に例えてみれば、日々新陳代謝される、新たな「いのち」を生きること自体が奇跡であるとしか言いようがない。 ところが同じ年の春の Science 誌に掲載された論文によると、精巧に発現制御されている遺伝子でさえ、単一受精卵から各種臓器に分化する過程では、肝心の発現情報を受容する遺伝子領域自体に、様々な不可逆的な変化がモザイク状に生じている可能性が示された。そのきっかけは、筆者らがほぼ 30 年前に Gene 誌に発表した、マウスの体細胞に存在する染色体由来の微小の環状 DNA であった。しかも微量であったので、数百匹のマウスを用いて、やっと検出できるほどのものであった。しかし DNA 塩基配列決定技術と並んで、急速に進歩した DNA 分子の試験管内増幅技術が、その微量 DNA の解析を可能にした。結論として、微小環状 DNA は、遺伝子が発現情報を受理する領域の微小な欠失部位に由来し、その欠失がマウスの脳や心臓や肝臓のような体細胞にキメラ状に分布することが示された。すなわち、不可逆的な微小欠失変異が、それぞれの個体や臓器に特有のものとして、その生理学的機能に影響することが示唆されたのである。このような見地に立てば、再生医療の切り札と考えられている iPS 細胞(人工多能性幹細胞)の、生殖医療への適用に倫理的規制が加えられるのは当然と考えられる。 私たちが、この世に「生を受けた」ことに対しては、「いのち」の継承として両親に感謝しなければならない。しかも両親の生殖細胞からそれぞれの遺伝的因子を受け継いでいることに関しては、「メンデルの法則」の枠内にある。しかし、それぞれの遺伝子がどのように個人の中で発現し開花するかに関しては、ほとんど無限の可能性が残されており、その実現の可能性は個々の体細胞遺伝子の中に刻み付けられていることになる。この見地から見れば、加齢は単なる細胞老化の過程ではなく、それぞれの細胞の機能の成熟あるいは個別化と考えてもよい。マウス胎仔の増殖中の脳細胞にも、おとなの脳細胞にも、染色体由来の微小環状 DNA が遺伝子プールとして存在している事実は、それぞれ新たなシナプス結合産生との関連も示唆するように思える。毎年咲き分けて、個性的な花模様を演出するハナモモのように、各人が両親から受け継いだ遺伝子の脚本の如何にかかわらず、自らの人生を豊かに演出するのは、それぞれの自律的な人生観によるところが大きいと考える。つまり生物進化の中で形成された、世界で一つのゲノム情報の枠内で、「人生を全うする自由」が与えられているのである。
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