2012.9.1
 
Editorial (環境と健康Vol.25 No. 3より)


高齢社会における総合医の必要性
−あなたは「かかりつけ医」を持っていますか?


小西淳二*

 

 

 わが国は敗戦後に国民皆保険制度を導入したことにより、世界一の長寿国となった。しかし、近年我が国の少子高齢化は世界に例のない速さで進んでいるため、社会の色々な面において根本的な改革が迫られるに至った。日本の経済発展を支えてきた団塊の世代の代表(1947 年生まれ)が今年 65 歳を迎える。2022 年には彼らも後期高齢者となり、日本の後期高齢者が激増するのである。

 医療においては、救急体制の不備や医師不足、医師の偏在による地域医療の危機が顕在化して久しいが、医療費の 55 %を 65 歳以上が占める現状からも、今後の医療費の急増が予測されており、昨年、五十周年を迎えた国民皆保険制度は財源不足で崩壊寸前と云われている。このため、医療福祉費への対応が国家的な課題となり、「税と社会保障の一体改革」を目指す野田政権は消費税のアップを不退転の決意で目指している。

 今年 4 月の診療報酬改定では2025 年の医療・介護の将来像に向けた再編過程の第一歩として、長期入院や在宅医療のニーズが高まることを想定し、医療機関の機能の明確化と連携、医療機関と在宅・介護施設との連携、在宅医療の推進を図ることが方向づけられている。しかし、急速な高齢化に対応するためには、このような医療提供体制の改革に止まらず、高齢者の特性を踏まえた診療内容に踏み込んだ改革が必要となっているのではないだろうか。高齢者では同時に複数の健康上の問題を抱えていることが多く、これまでの様に、それぞれの症状に応じて専門医療を受ける体制では、多くの医療を受けているにもかかわらず、誰もその患者の全体を把握していないという、ある意味での医療難民化が起こり、医療費の無駄も生じてくる。

 患者の視点からみた現代医療の問題点と今後の医療への期待を、本誌最近号のオピニオン欄「医師になること−若い人たちのために−(W、最終回)将来の日本の医療は? 環境と健康 25(1):126−135、2012)」で、萬野裕彦氏は『患者の大病院志向は「三分間診療」をもたらし、ようやく診てもらっても医師はパソコン画面や検査データを見て、患者を見ないという状況が生まれている。医療技術の急速な進歩の一方で、医師と患者の五感を通じての交流が失われてきた。医療における信頼関係の好循環を築くためには、「かかりつけ医」の復活が最重要課題である。一般医、家庭医の役割を担うプライマリ・ケア医を育てることで、両者の関係が病気を中心とした関係でなく、かって地域社会の中で「かかりつけ医」が果たしたような人間としての関係が再生することを期待したい』と述べて結んでいる。

 このように現代医療に今強く求められているのが、「総合的な診療能力を持つ医師」である(ここでは以下、総合医と呼ぶ)。総合医には「頻度の高い病気やけがについて、適切な初期対応と必要に応じた継続医療を全人的に提供でき、これらの予防や保健と福祉などの面から、健康にかかわる幅広い問題についても対応できる」ことが期待されている(日本医師会:生涯教育カリキュラム 2009)。その業務は日常病の診療にはじまり、総合的医療相談、紹介、連携、専門医療の補完、在宅重視の高齢者地域ケア、地域づくりを基盤にした予防活動など広汎にわたる。

 医療の専門分化と高齢患者の複合型の病態:総合医の必要性が最近注目されるに至った背景には、二つの大きな要因がある。一つは上にも述べたように、高齢化とともに患者が複数の病気を抱えていることが多く、専門外の疾病も診療できる総合的な能力が求められるようになったこと。また高齢者医療では予防、リハビリテイション、術後管理などの面でも、総合医が必要である。二つめは地域医療の現場における医師不足の中で、先ず最寄りの診療所の医師が対応し、必要に応じて専門医に送る体制が不可欠であること。特に昨年の東日本大震災での経験から、総合医の必要性が強く認識されている。被災地では使える検査機器に制約がある中で、最大限の的確な診断が出来る巾広い診療能力が求められたからである。

 わが国では、医療の進歩と高度化に伴い専門分化が急速に進み、医師および患者の両方が専門医志向を強めた結果、訴訟リスクもある今日、医師の側は専門領域以外のケアを敬遠するようになり、総合的、全人的な医療が欠落するようになってきた。このため、かってのように「かかりつけ医」として何事にも相談に応じてくれたプライマリ・ケアを担う開業医が急速に減少している。一方、患者の側も、何事につけ直ぐ病院へ駆けつけるようになり、地域の医師に対する馴染みがなくなっている。これでは「かかりつけ医を持ちましょう」といくら呼びかけても実らず、救急車の濫用が問題となるに至った。少ない医療費で質の高い医療を目指すには、総合医をベースとする効率的な医療体制を実現することが望まれる。急病の際も、先ずは普段の状態をよく知っている「かかりつけ医」に相談したうえで、必要時に紹介を受けて救急センターを受診するというルール作りが必要である。

 上述のように専門医が増えたことで、実態としては専門医の多くが、後に総合的な診療を行う開業医に転じるという「日本型かかりつけ医」として活躍している。しかし、現在では医者であれば専門に関わらず何科であれ、一先ずプライマリ・ケアが出来た時代ではなくなり、プライマリ・ケアについて教育、研修を受けた専門の医者が必要な時代となったことを認識する必要がある。

 臓器別専門医偏重の卒後教育から「総合医」の養成へ:それでは総合医の育成はどうなっているのだろうか。総合医を育てる学会としては、家庭医療学会、日本プライマリ・ケア学会および総合診療医学会という三つの学会があったが、これらが 2010 年に合併して、日本プライマリ・ケア連合学会が設立された。この学会では総合医の専門医資格を認めてもらうために日本専門医制度評価・認定機構への加盟を現在申請しており、なんと 77 番目の専門学会として近く認められる見込みである。すなわち、これまで如何に専門分化の方向への流れが激しかったかを示すものである。

 わが国の専門医制度は上記の機構の定めた基準に則って認定されているが、それぞれの学会が運営しているため、問題が多い。最近、厚労省は「専門医の在り方に関する検討会」を開いて、(1)専門医の質の向上と(2)総合的な診療能力を有する医師を育てることを目指した見直し作業に入っている。最近出された論点整理では、(1)について、学会から独立した中立的な第三者機関で専門医の認定を実施することや、地域偏在や診療科偏在の是正にも効果があるように運用すべきではないかとの提言がなされている。(2)については「総合医」を専門医の一つとして基本領域に加えるという方向が打ち出されている。内科や外科などの幅広い基本領域に「総合医」を加え、これらの基本領域の認定を得たうえで臓器別の専門医を取得する二段階制の仕組みに専門医制度を再編することが検討課題とされている。基本領域は臓器に限局しないジェネラルな領域とし、ジェネラルがあっての専門科という考え方を臨床に携わる医師全体がもたないと、医師の幅広い対応力が育たず、高齢社会での円滑な医療は望めないように思われる。

 さて、医師の卒後教育では臨床修練が極めて重要であるが、インターン制度の廃止(1968)から新医師臨床研修制度の導入(2004)まで実に 36 年にわたり臨床研修は義務付けられていなかった。この間の医学部卒業生は国家試験を受けて医師免許を取得するや、その殆どが広く各科を回る卒後研修を受けず、直ぐに専門診療科に入っていた。つまり、専門医を育てるシステムに偏重した研修であった。その結果、プライマリ・ケアに対応できない医者が増え、我が国の市中病院では一般的だった全科を診る当直勤務は各科の専門医から敬遠されることになった。加えて、医療の高度化と訴訟の頻発もあり、当直医が専門でないという理由で急患のたらいまわしが起こり、救急医療の崩壊の一因ともなった。各科をローテイトする新臨床研修制度の義務化以来 9 年、ようやく救急対応が出来る医者が育ってきており、医師不足でなお困難が多いものの、時代遅れの救急の当直体制は、ようやく夜勤体制へと変わろうとしている。しかし、総合医の中核を担う内科医を考えてみると、現在の 2 年の臨床研修(いわゆる初期研修)のうち、内科は半年しかない。その後の後期研修では、やはり比較的早くから、専門領域に入ってしまうのが通例である。米国では3 年間の一般内科の研修の後、臓器別の専門に分かれている。このため、我が国ではジェネラルに弱い専門医が出来ている。米国のように一般内科医の過程を経てから専門医へと進むのが理想だが、内科の各専門医も足りない我が国の現況では、3 年間を全員に義務付けることは難しく、総合医コースを別途設けるというのが現実的対応である。総合医の学会認定プログラムは全国の病院で次第に増えつつあるが、まだまだ入ってくる後期研修医は多くない。今後、各大学の定員増に伴い育ってきた地域枠の学生の参入が期待される。

 総合医を中心とする地域包括ケア:総合医による「かかりつけ医」体制が復活すれば、二次ないし三次救急と専門医療を担う公的病院と開業している総合医で役割分担して、効率的な診療体制を作ることができる。その将来像としては次の様なものが想定される。既に大学病院ではその方向を明確にしているが、全ての病院は原則として紹介患者のみを診る専門外来のみを行い、一般外来診療は「かかりつけ医」を持たない救急受診患者のフォローのみに止める。総合開業医が一次救急を含むすべての初診患者を診る。もっとも移行期には病院の救急が一次救急をも診るいわゆる北米型救急外来(ER)システムも必要な地域があると思われる。

 現在でも開業医は事実上の総合医の役割を担っている場合が多いが、前述の日本医師会:生涯教育カリキュラムに則った、体系的なリフレッシュコースを受けることで、総合医として認定し、プライマリ・ケア担当医の層を厚くする必要がある。一方、総合医とならない専門科開業医は研修病院の登録医としてその専門性を発揮してもらうとともに、後進の育成に当たる。

 筆者は最近まで、危機にある地域医療を担当してきた者の一人として、総合医が地域医療にとっていかに重要であるかを実感してきたが、超高齢社会を迎え国民に満足度が高い医療を提供する一方で、危機にある国民皆保険を持続可能なものにするためには、総合医と臓器別専門医が地域包括ケアシステムの中で円滑に協働することが不可欠と考えている。単に医療経済上の効率化のためということではなく、行き過ぎた専門医志向を是正し、医療のあるべき姿を実現するという視点でも、今まさに抜本的な見直しが迫られている。


* 杉田玄白記念公立小浜病院名誉院長、京都大学名誉教授(核医学、内分泌学)