Books (環境と健康Vol.24
No. 4より)
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稲川 実・山本芳美 著 靴づくりの文化史 −日本の靴と職人− |
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(株)現代書館 ¥ 2,000 +税 |
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明治維新の「文明開化」の掛け声で、明治 4 年(1871 年)に太政官布告として、「散髪勝手令」が出され、それまでの床屋は理髪店となり、世の中に断髪、洋装化が進行したが、まだ足元は草鞋(わらじ)と草履(ぞうり)が優勢で、舶来もの(輸入品)しかなかった靴は庶民には手の届かない高嶺(値)の花であった。しかし明治 15 年(1882 年)に官立学校の制服を洋服とし、明治 19 年(1886 年)には帝国大学で「靴以外での玄関からの通学出勤は禁じる」との学長通達があった。日本人は靴を知っておよそ 10 年で「西洋かぶれ」から「必需品」へと急激に靴の評価を変えたのである。明治 6 年に庶民靴の国産が開始されたが、生産量が輸入靴に追いつかず、当時の下級官吏の給料が4 円の時代に、庶民の靴の平均価格は6 円であった。まだ洋服に羽織、チョンマゲ姿に靴といった「和洋つぎはぎ」スタイルであった。 本書では、文明開化の「特需」としての日本人による靴づくりの歴史が文化史として述べられている。明治初期に突如現れた靴生産がそれまで皮革の扱いに慣れていた人々の仕事として積極的に取り入れられ、この過程で、靴づくりと被差別部落が強く結び付けられていった。「日本人の足に合った」靴の製造は明治 3 年で、時の陸軍大将大村益次郎から発注された軍靴であった。受注したのは、佐倉藩の側用人から脱藩して「伊勢勝・製靴場」を開業した西村勝三であった。開業の日が 3 月 15 日であったので、その後「靴の記念日」とされた。本書の著者は 1929 年生まれで、1947 年に宮本靴に入社し、1960 年に独立して創業し、2008 年の引退まで靴業に従事し、現在「皮革産業資料館」の副館長を務めている。共著者の山本芳美さんは文化人類学者で、2008 年 3 月から、毎月 1、2 回、著者の稲川さんと対談して、(1)靴産業における女性の役割を明らかにし、(2)東京中心でなく各地方の産業としての靴づくりを取り入れ、(3)世界的視野と結びつけた通史としてまとめ上げ、本書を完成した。 明治期の靴は各個人の足形に合わせて作られる注文生産の職人仕事で、多くは手縫いの家内工業に支えられた請負制であった。やがて大正期から昭和期にかけて、機械製造による大衆向け既成靴の生産体制が整ったが、戦況が厳しくなるにつれ、軍靴の製造が優先され、軍需産業となった。第 2 次世界大戦後の産業の混乱も、やがて朝鮮戦争の「特需」で復興し、昭和30 年代からの道路舗装は靴産業好景気の追い風となった。しかし昭和 39 年(1864 年)の東京オリンピックを契機とした高度経済成長期に、手製靴に代わり、地下足袋から発展した神戸の安価な合成皮革のケミカルシューズが主流となって、現在の履き捨ての時代に到っている。
山岸秀夫(編集委員)
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