Books (環境と健康Vol.24
No. 1より)
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「五重塔のはなし」編集委員会 編著 五重塔のはなし |
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評者は古都京都と奈良のほぼ中間、京都から五里、奈良から五里、古くから「ごりごりの里」と呼ばれた城陽市に住んでいる。京都に向かう近鉄線に乗って電車が十条駅を過ぎると間もなく、山城盆地で最高峰の愛宕山を背景に日本一高い東寺(教王護国寺)の五重塔が見える。今年も新年1 月中旬には雪化粧をした愛宕山を後ろに塔頂の相輪の水煙が朝日に照らされて一段と輝きを増していた。全国に国宝級の塔が 9 基現存するが、京都には東寺の他に醍醐寺、海住山寺を合わせて 3 基、奈良には法隆寺、室生寺、興福寺に 3 基がある。このほか京都には御室桜で知られる仁和寺と祇園八坂の法観寺の 2 基が重要文化財として存在する。いずれも江戸時代までに建立されたものであるが、7 世紀の創建当時のまま現存する世界最古の法隆寺の塔、重量感あふれる興福寺の塔、女人高野とも呼ばれる室生寺の繊細な小振りの塔、弘法さんの月の市で賑わう東寺の塔、太閤秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺の塔、いずれもそれぞれの寺の美しいシンボルタワーである。しかしその由来や構造などについては意外に知られていない。評者も五重塔は仏舎利の納骨堂であることは知っていたが、何故初層より上に登れないのか?どうしてこのような高層の木造建築物が地震などの天災に耐えてきたのか?との疑問を持っていた。本書は、その素朴な疑問に答えるもので、歴史学と建築学の知見に基づいて解説した総集編である。 まず五重塔のルーツ(起源)はお釈迦様のお墓であるインドのストゥーパで、仏舎利を納骨した二重の基壇の上に煉瓦で造られた饅頭型をしており、五重塔の相輪の基部の伏鉢にその原形を留めている。中国、朝鮮半島に仏教が伝来して以来、円形の基壇に階層を付けて各層に仏像を祀る五重以外の多層の石塔が造られた。木造の五重塔は仏教が日本に伝来してから、日本の気候風土、すなわち高温、多湿、多雨に対する配慮がされ、日本人の美意識から造り出された日本独自の塔である。仏舎利の容器を納めた礎石(心礎)の上に乗る心柱を中心に組み上げられ、初層だけに仏像を祀り、二層より上は丁度角材からなる三次元のジグソーパズルのような組み物であって、多くは釘などで固定せず、その部材の間にゆとりのある柔構造である。木造のため落雷や火災に対する弱点はあったが、その耐震性や耐風性の強さの秘密はこの柔構造にあると言い伝えられており、この構造機能の特徴は現代建築にも取り入れられている程である。 全国に現存する五重塔を建立時代別にみると、7 世紀から江戸時代まで 1,200 年間の 22 基、明治・大正・昭和時代に 29 基、平成時代の 28 基で、総計 79 基である。明治以降には一部鉄骨造も含まれるとはいえ、古くから数多く建てられてきた木造の五重塔の多くは消滅し、その一部が復元再建されてきたことを物語る。それだけに風雨や腐朽に耐えて現存する五重塔には、常日頃入念な管理と手入れを千年以上にも亘って行ってきた棟梁や大工の技術者集団の存在が見逃せない。五重塔も人の健康と同じで予防的な保全管理が必要なのである。 それにしても人々がこれほどまでに五重塔を大切にしてきたのは何故だろうか? 現存の木造の塔の高さの最大は東寺の 50.8m であるが、かつて 100m 以上の七重の塔が京都の相国寺にあったが焼失した。外国での信仰的な意味を持つタワーとしては、回教寺院のミナレットが有名で塔の上から人々に呼びかける目的で造られている。日本固有の五重塔は天上から見下ろす神の目線でなく、地上からの人々の目線で仏の美徳を仰ぎ見る尊崇のシンボルとして存在したのである。 山岸秀夫(編集委員)
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