2011.3.4
 
Editorial (環境と健康Vol.24 No. 1より)


言語と心の教育
−小児期の母親の役割


本庄 巌*

 

 

 本号の特集では、「こころと身はひとつ」をテーマとして、心と身体との関係について、医学、心理学、哲学の様々な側面から考察されています。新しく誕生した生命には、五感を通して心が育まれていきます。ここでは聴覚を取り上げて、小児期における母親の音声言語が、その後の心の形成に果たす役割の大きさを述べたいと思います。

 現在の学校では「頭の教育」が主体であり、「心の教育」の方は戦後長くタブーとされてきました。しかし昨今の小中学校では先生のコントロ−ルがきかず、授業が困難なところもあるのを耳にします。そこで最近になってやっと道徳の時間が認められたそうです。このような状況を変えるべく教師を対象にした「心の教育シンポジウム」が昨年末に開かれ、お誘いを受けてこれに参加して色んなことを知りました。その一つは荒れた教育現場で坐禅の時間を設けたところ、クラスがかなり落ち着いたという報告でした。また驚いたのは学童のアンケートで約半数がヒトは死んでも生き返ると答えたとのことで、児童の心がゲームなどの架空の世界に支配されていることが分かりました。この架空の世界は言葉ではなく、映像による視覚情報によって形成されています。

 今回のシンポジウムの講師は各界のエキスパートで、私などは場違いの感じでしたが、難聴を治す人工内耳という医療の経験から、子供の脳が本来持っている大きな能力と年齢とともに子供の脳から失われてゆく可塑性(変形しうる性質)など日ごろから教育について考えていることを話し、さらに言語と脳に関する脳機能画像の視点から、先の坐禅で用いられた呼吸を数える数息観の意義について述べました。

 さて人工内耳という新しい医療は、内耳に入れた電極を介して言葉の情報を脳に伝える画期的な医療で、生まれつき音が聞こえない小児でも手術で言葉が分かるようになり、通常の進学コースに進むことが出来ます。しかしどの程度言葉が分かるようになるかは、手術を受けた時の年齢が鍵を握ります。3、4 歳までに手術を受けると結果は良いのですが、思春期を過ぎると言葉の理解は難しくなります。これは脳の可塑性という生物の掟によるものです。子供の脳は粘土のように柔らかく、言葉の習得に関して言えば 3、4 歳のころが最も可塑性に富み、この時期以後になると脳は次第に固まってゆき、言葉を理解するのが難しくなるのです。

 ちなみにヘレンケラー女史が聴覚と視覚とを失ったのは 1 歳 9 カ月ですので、彼女の脳内には言語のネットワークがかなり出来ていた筈であり、もしこの基盤がなければサリバン先生の献身的な教育も実を結ばなかったでしょう。脳の可塑性の年齢的な制限を示す例はアメリカでも報告されています。ある特殊な事情で耳からの言葉が全く入らない状況で成長したジニーという少女は 13 歳で救出されたのですが、遂に 2、3 歳児以上の言葉はしゃべれませんでした。しかし 6 歳半で救出されたイザベルは1 年余りで全く普通の英語を話せるようになったそうです。脳の可塑性に年齢制限があることは歌舞伎や能など日本の古典芸能の世界でもよく知られていて、その子弟は幼児の時から厳しく芸を仕込まれます。

 ヨーロッパでは多言語の人がよくみられますがこれも特別な才能ではなく、たとえば子供の時からスイスのような多言語の環境にいれば、ドイツ語、フランス語、イタリア語くらいの言葉は自然にしゃべれるようになるのです。また昔はヨーロッパの上流社会ではフランス語が共通語で、そのため乳母や家庭教師にフランス人を雇ったそうですが、幼児期からこのような言語環境に置けば子供たちは自然にフランス語が話せるようになるのです。

 興味深いことに、脳の中ではそれぞれの言語で働く場所が少しずつずれていて、たとえば私たち日本人の脳でも漢字とひらがなやカタカナなど、それぞれの文字によっても少しずつ違った場所を使って文字を理解していることが分かっています。戦後わが国では子供の負担を軽くするためか漢字の制限が行われ、今でも常用漢字の制限が続いています。しかし江戸時代の子供は寺子屋で四書五経などを大声でよむ素読でこれらを暗記していたのです。可塑性に富む子供の脳はスポンジのようにいくらでも知識を吸収する能力を持っているのではないでしょうか。

 脳の発達についてみますと、生まれたばかりの赤ちゃんの脳でも脳細胞の数は百億個と大人の脳と変わりませんが、脳の重さは生後半年で 2 倍になり、7 〜 8 歳になると大人の重さに近づきます。この急激な脳の重量の増加は脳細胞をつなぐ神経線維が増えたことによるもので、生後 1 年で神経線維はほぼ 10 倍と爆発的に増えるのです。そして例えばお母さんの顔とお母さんの声とを結ぶ神経線維はより強くなり、同様に火を見たときには熱いという温度覚と、ケーキを見たときには甘いという味覚と結びつくように、神経線維の結びつきは学習や経験で強められてゆきます。更に物事の善悪や弱い者いじめはしないなど、道徳的な判断も学習によって神経線維の結びつきが強化されてゆきます。「子供は親の見本」といわれるように、人としての基本は母親あるいは祖母など家族のお手本が大切です。子供は母親から“mother tongue”としての母国語を学ぶと同時に人としての倫理も学んでいるのです。この母親役の不在がいまの学級崩壊の危機を生んだ原因の一つではないでしょうか。

 言葉と脳の関係を画像で調べた私たちの研究結果をお話しします。興味深いことに、しゃべっている時には言葉を理解する脳の場所(聴覚を司るウエルニッケ野)は活動を止めていているのです。これは自分の言葉は聞かないようにしているのですが、もし自分の話の内容をいちいちチェックしているとスムースにしゃべれなくなるからです。これは聞こえないふりをするいわゆる詐聴の検査として利用されていて、自分の話し声を少し遅らせて聞かせると、もし本当に聴こえているのであればうまく話せなくなってしまうのです。いっぽう他人の話しを聞いている時には聴覚を司るウエルニッケ野の活動は勿論ですが、言葉をしゃべる時に働くブローカ野も参加して言葉の理解を助けていているのです。このように私たちの脳は目的に沿って巧妙な対応をしていることが分かります。

 更に聞く、話すなど普段私たちが行なっている言語活動の際には、スポーツや体のバランスをとる時に必要な小脳も必ず働いていています。このことは高次の脳機能とされる言語活動も実は身体運動の一種であることを示すものです。私たちは手足の運動と同じやりかたで、のどや舌や唇を動かして言葉を発しているのです。いっぽうこれを聞きとる場合も言葉を発する時とほぼ同じ所を使って理解をしているのです。その意味でも音声を使った肉声による言語(音声言語)はヒトのコミュニケーションの基本形といえます。現在子供たちは過剰な情報社会の中でゲームやメールなど視覚に頼る架空世界に支配されていますが、相手の顔の表情を見ながら話す音声言語を取り戻すことが必要でしょう。認知症のお年寄りでも童謡や小学唱歌はよく覚えていて、これを聞くと表情がなごみ、更に一緒に歌うこともできるそうです。これも脳に可塑性のある若い時期に憶えた身体運動がよみがえることを示しているのでしょう。

 更に文字で書かれた文章を黙読している時の脳も、言葉をしゃべる時に使われるブローカ野が活動していて、脳内では文字による言語も声に変えられて処理されるようです。このことからも文字言語が音声言語から派生したものであり、これは私たち大和民族が飛鳥時代に漢字が到来するまで、文字言語とは無縁な社会を営んできたことからもわかります。

 また先に述べた心で数を読む数息観では、呼吸を数えることに集中することで脳の働きはこのブローカ野に限定されて行き、脳の他の場所はほとんど沈黙するものと考えられます。こうして子供たちは日常とは違う静かな世界に入ることができるのでしょう。しかしこのためには指導する教師にかなりの力量が要求されることになります。

 以上まとめてみますと、人工内耳の臨床経験から、心の教育という点では脳の可塑性に富む小児期の母親の役割は極めて大きなものがあると考えられます。以前は同居する祖母や近所の人たちがこれを助けていたのですが、今は核家族化でこの役割が母親だけになっていて、これが今日の事態を招いた原因の一つではないかと考えられます。また公立学校ではほとんど宗教教育は行われていませんが、今回の数息観による静坐は少なくとも落ち着いて先生の話を聞くきっかけにはなると思われます。学校は知識伝授の場ではありますが、これまで避けられてきた「心の教育」にも目を向ける時期に来ているようです。さらにメールなど相手の顔の見えない文字言語ではなく、肉声を介した音声言語をもっと活用すべきではないでしょうか。学童の心の教育の面で私たち大人に何ができるかを探る今回の「心の教育シンポジウム」の意義は大きく、今後もこの会の役割に期待したいと思います。

 


*京都大学名誉教授(耳鼻咽喉科学)