Books (環境と健康Vol.23
No. 4より)
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川田順造 著 文化を交叉させる−人類学者の眼 |
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(株)青土社 \ 2,200+税 |
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現生人類の直接の祖先、新人はほぼ 10 万年前頃にアフリカ東部の大地溝帯付近から世界に拡大し、ユーラシア大陸の西と東に移住した(A)コーカソイドと(B)モンゴロイド、アフリカに留まった(C)ニグロイドの 3 大人種を形成した。新人になって言葉で意思伝達が可能になると、個人情報から集団の知恵が生まれ、その集団の知識が次世代へと伝承される。言葉が図形化され文字化されるとこの継承はさらに確実となり、それぞれ多様な文化を形成していった。 著者は本書のはじめに多様な文化を理解するための手法として「文化の三角測量」を提案している。丁度日本地図の大まかな輪郭が一等三角点の測量網を拡げることによって得られるように、先ず大きく隔たった三つの文化を三角点として取り上げて比較測量することから始める。そこで最初に取り上げた三角点が(A)のフランス、(B)の日本、(C)の西アフリカサハラ砂漠南部のモシ諸王国(現ブルキナファソ共和国)である。しかも(C)のモシでは音声言語しかなく(A)、(B)のような独自の文字言語は存在しない。しかし著者の強みはそれぞれの音声言語を駆使して、現地に滞在して得られたフィールドワークの成果である。事実著者は 1962 年より 9 年半に亘りモシ周辺での聞き取り調査を行っている。比較する時代は全て17〜20 世紀の350 年間に限定しているが、現地調査以前の無文字社会については、アラビア語やヨーロッパ語で記された間接的資料を利用している。本書は(1)グローバル化の中での技術文化の多様性を探る、(2)「うたう」ということ、(3)言語表象における動物の寓意、(4)図像象徴性研究のための予備的覚書、(5)肖像(歴史的図像)と固有名詞の 5 章からなっている。(1)と(3)はすでにフランス語と英語で刊行したものの日本語版であり、(5)はフランス語版よりの増補改訂版、(2)と(4)は既刊日本語版の再録である。パリーの書店よりまとめて公刊予定であった本論集に対して文化人類学者のL. ストロースが絶賛執筆した序文は、2009 年 10 月に本人の急逝により絶筆となった。 (A)の西欧文明は人間非依存思考を特徴とする技術文化であり、機械文明とも言える。(B)、(C)には共に人間依存性が見られるが、その主な違いは(B)が人間の巧みさで単純な道具を利用するのに対して(C)では道具を身体の延長と考える所にある。例えば農耕にも牧畜を結合させて畜力という普遍的な外力を利用した(A)に対して、巧みな人力にたよる(B)の日本の水田耕作や、腕の延長としての棍棒を用いる(C)のモシがあげられる。(A)の世界は一神教であり、ラテン語という表音文字の共通語が有り、機械の外力を利用した普遍的な文明を発達させ、大航海時代以来世界を制覇した。(B)の日本は自然神を信ずる多神教であり、表意文字を用いていたため、普遍性の欠如から機械文明の発達が遅れ専ら(A)の科学文明を摂取する方向に向かった。しかし(B)に属する東アジアや(C)のアフリカ大陸の多くの国は(A)との文化交叉の中で植民地化され、西欧文明の宗教と文字言葉が強要され、政治的にも経済的にもグローバリゼーションの嵐に巻き込まれた。しかし 1960 年代に入り、(A)の西欧文明の中にも無限の進歩開発に対する見直しが現れ、1972 年にストックホルムで開かれた人間環境会議では、人間の果てしない競争による歯止めの無い情報技術万能主義に対する反省として、持続可能な地球の開発が議論されるに至った。 その意味では、(A)の文字文化から取り残されたまま低開発のモシ社会には、未だ「生きる」ことへの果てしない「くつろぎ」が人々の間に残っている。英和辞典を見ても、国語辞典を見ても、文字単語には必ず複数の意味がこめられている。その正しい意味の選択は、その前後の文章との関係で明らかにされるが、直接表情豊かに発せられる音声言語には及ばない。モシ社会にはダホメー王国(現ペナン共和国)などの近隣諸国に見られる図像表象的な絵も残されておらず、身体的動作をともなって「うたうこと」による二者間の音声言語は、宛先を特定しないメッセージとして集団に伝わる。ここには無差別殺人も引きこもりも見られない。そこには多くの動物寓話さえ残されている。しかも「うたうこと」に伴奏される唯一の楽器は葬送に限って用いられる太鼓であって、しかも死者に向かって二人称で呼びかける多様な太鼓言葉である。その中には自然に還って行く故人の歴史が色濃く刻み込まれて参列者集団に伝えられていく。そして彼らの先祖の王統譜が物語として継承されていく。神に召されていく死者を第三人称で呼ぶ(A)の文化とは異なる。その点では、(B)文化圏の原始大乗仏教の『現存の人間は生前と死後を含めた「にんげん」全体の一部である』との考えは(C)文化圏に通ずるものがある。このことは、言葉の断片文字を繋ぎ合わせるだけでなく虚構の電子記号で人々を結びつける現代人間のバーチャル文化の将来に問題を投げかけている。すなわち「過去はそのまま歴史ではない」からである。そのうえ人々が音声言語で繋がるモシ社会では、土地は神聖で誰の所有物でもない。しかし(A)、(B)文化圏では土地の領有や資源開発紛争をきっかけにテロと核弾頭の恐怖に人々はおののいている。今こそ生活の利便性と引き換えに失った「心のくつろぎ」の回復が求められている。(A)、(B)文化圏からの三角測量の交叉点として浮かび上がった(C)文化圏のモシ社会に学ぶ所は多いと思われる。
山岸秀夫(編集委員)
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