2010.9.1
 
Editorial (環境と健康Vol.23 No. 3より)


「無用の用」と「不易流行」


山岸 秀夫

 

 

 「無用の用」とは紀元前 2 世紀頃の中国の道家思想(老荘思想)の説話に出てくる述語で、「一見役に立たないと思われるものが実は大きな役割を果たしている」との趣旨である。「不易流行」は俳人松尾芭蕉が俳諧に対して説いた概念で、「社会の状況が変化しても変えてはいけないものと変えなければいけないものがある」とのことで、共に学問や文化の形成、人間形成に当てはまる。しかし昨今は「不易」より「流行」が重視され、特に企業からは「即戦力による人材」や「すぐに役立つ知識」が期待されている。しかし「今有用なすぐに役立つ知識」は今年の役に立っても、来年は無用となるかもしれない。その反意語が「無用の用」である。

 1945 年、第 2 次世界大戦の敗戦によって日本全土に自由な青空と焼け野原が広がった頃の私の見聞記をその一例として以下に取り上げる。〈師団長閣下の軍人家族が阪神間の豪邸に住んでいた。子どもたちは陸軍士官学校や海軍兵学校に入学し、将来が嘱望されていた。しかし末っ子に変り種がいて、晝間はギターを片手に部屋に閉じこもったままであったのが親の唯一の悩みであった。しかし爆撃された焼け野原に急造されたバラック小屋での一家の生活を支えて「役立った」のは、神戸に進駐してきた米軍専用の豪華なキャバレーで人気バンドマンとして高給を得た「無用の」末っ子だった〉。

 しかしことはそれほど単純ではない。「役立つ」の現代風の理解はもっと複雑である。企業では一体「誰のために」、「どれくらいの期間か」が問題になる。現代自由主義経済社会で株式会社の経営を任された社長は、「株主のために」、「在任期間中」は右肩上がりに利潤を上げて、株主配当を増やそうと努力する。その結果として株価が上がり、良い製品が社会に広まり、役員報酬も社員の雇用も保証される。しかし問題は何処までこのシステムが持続可能かということである。本誌 22 巻、サロン談義 6「資本主義の行方」や本号から掲載の始まるサロン談義 8「変貌する世界」でも議論されているように、自由主義経済社会に好不況は付き物であり、常に技術革新が求められている。会社の経営が破綻し始めると、その存続のため収益率の低い「役立たない」部門の縮小や「役立たない」社員の人員整理が始まる。しかしやがて景気の回復とともに、流行に沿った新規事業が開始され、新たな人材が求められる。その際その人材はよそ者の輸入でなく、持続可能な企業経営と技術革新を模索していた人材の発掘にあるのではなかろうか。おそらくそのような隠れた人材は、好況下に在ってはむしろ「役立たない」人材であったかもしれないが、そのような「無用の用」をも抱えることの出来るゆとりこそが今後の社会と共生する企業経営に求められているのではなかろうか。そのようにすれば企業に限らず、老舗でも、大学でも、不易の良き伝統と信用が形成されていくはずである。

 京都市内には 1200 年前の平安遷都以来の多くの歴史を語る文化財が断片として神社や仏閣に残されているとはいえ、1467 年の応仁の乱や 1864 年の禁門の変などの兵火により、市中の町家は殆ど壊滅した。しかしその都度、新しい智恵を取り入れて町家が再建され、現在の伝統的な町並みが形成されてきた。京町家に特徴的なのは坪庭の存在である。経済活動の活性化の中で生じた僅かなゆとりの空間が坪庭となり、自然の換気と熱交換を促進して快適な生活に役立った。ところがこの京町家も新たな市街地再開発の波の中で消えゆく運命にある。遅ればせながら京都市は伝統的町並み保存に取り掛かったが、そのためには現在そこに住んでいる町家の人々の生活が保障されなくてはならない。この点では浮世絵師の葛飾北斎が愛したとされる信州善光寺平にある小布施(おぶせ)の町おこしが参考になる(川向正人著:小布施まちづくりの奇跡、新潮新書、2010 年)。ここでは町並み保存とは言わずに、町並み修景と言う。例えば一般民衆の庭を観光客に開放して「オープンガーデン」にすることにより、それがゆとりの空間として働き、町の景観が保全され、住民による修景の輪が広がっているとのことである。かつて京都の祇園祭が前後 2 回に分けられていた頃、後の祭りは各家のご自慢の屏風を飾った部屋に客を招く屏風祭りでもあった。私も学生時代に招かれたことがあったが、市民交流の「オープンガーデン」だったとでも言えようか。

 ここで人類遺伝学者、大野乾博士(Susumu Ohno, 1928−000)の名著「遺伝子重複による進化」(山岸秀夫、梁永弘 共訳:岩波書店、1977 年、原著:1970 年)の巻頭言からの引用をお許し願いたい。〈“ 必要は発明の母である” と言われている。確かに車輪も滑車も高潔な市民の不撓不屈の意思によって必要から発明されたものである。しかし人類の歴史を眺める時、“ 余暇は文化的進歩の母である” ということを付け加えねばならない。人間の精神が日常のわずらわしさから解き放たれて、人間の創造的資質が花を咲かせたのである〉。博士は実際に脊椎動物の遺伝子の存在する染色体セット(ゲノム)を観察して、「脊椎動物が水中から陸上や空中まで生活圏を広げた進化の過程で染色体セットが少なくとも 2 回倍加して重複したこと」を 1967 年に発表した。この仮説はゲノムプロジェクトの進展した現在、大野の「1 対 4 ルール」と呼ばれて実証され、重複したゆとりの遺伝子が新しい機能を獲得して新しい環境下で生存している。ヒトゲノムにもその痕跡が残存している。遺伝子重複によって、ゲノムの「オープンガーデン」が開かれたとでも言えようか。

 地球は約 46 億年前に誕生し、その後次第に冷却し、約 40 億年前の原始海洋で単一の生命が誕生したと推定されている。最初に誕生したのは深海の熱水循環を利用した嫌気性好熱細菌とされるが、その後変異を重ねて多様化し、地球環境の激変に耐えて現存しているのは、古細菌、真正細菌、真菌(カビ)、植物、動物のいずれかに分類される生物である。約 40 億年の生物進化の過程では、数回の地球環境の激変によって多くの古いタイプの生物が大量に絶滅した後、その都度新しいタイプの生物の出現により大規模に生物相が入れ替わったと推定されている。その証拠は化石として地層に残されている。それにも拘らず地球環境の多様性は、特殊な環境下での希少種の生存を許し、生きた化石とも呼ばれるものがある。現在認知されている生物種は約 150 万であるが、未だ数千万の多様な希少種が発見される可能性が在る。本号では、「われら地球の共生家族−いのちを育む共生の仕組み」が特集され、サロン談義 7 では「生物多様性を考える」が継続して取り上げられている。本号から新にサロン談義8 として、「生物多様性」と深く関わる「人間世界の変貌」も論議される。しかしいかに生物界が多様であるとはいえ、単一祖先から出発し共通祖先から分岐してきたことを認める以上、生存に必要な機能を温存しながら、変化した環境に必要とされる新しい機能を上積みしてきたことは確かである。様々な異なった地球環境に適応した生物多様性の中にその生き残り戦略の普遍性を問うならば、「無用の用」と「不易流行」との答えが返ってくるのではなかろうか。