2010.5.28
 
Books (環境と健康Vol.23 No. 2より)

 

マリオン・ネッスル 著(久保田裕子、広瀬珠子 訳)

食の安全−政治が操るアメリカの食卓


(株)岩波書店 ¥2,800+税
2009 年 7 月 24 日発行 ISBN978-4-00-023461-0

 

 

 著者は、分子生物学を専攻した上で公衆栄養学を専門とするニューヨーク大学教授である。本書は、著者が 1980 年代後半から米国保健福祉省の栄養政策顧問を務めて以来、食品業界はじめその他の団体の行動を観察し続けてきて、(1)細菌性食中毒、(2)バイオテクノロジー、(3)バイオテロリズムのサブタイトルに分けて 2003 年に集約した、「食の安全」に関する具体的、実証的な論考である。

 一般市民の関心の高い「食の安全」は個人の生命に関わることである。しかし序章は、「食の安全は政治的である」とのショッキングなタイトルで始まる。著者は、食品安全リスクの許容度を、(1)科学に基づくアプローチと(2)価値に基づくアプローチに区分して検証している。すなわちリスクや安全性に関しては、どのような科学的情報が得られているかだけでなく、何に価値を置くかを踏まえて判断する必要がある。第 1 部の細菌性食中毒の項では、食品加工や調理法、食品の放射線照射殺菌、チーズなどの非殺菌食品のいずれをとっても、統計的問題以前の個人的価値観があり、グローバルな食品安全政策は極めて政治的判断を要するものとしている。

 第 2 部の遺伝子組み換え(GM)食品の項では、典型例として本来トウモロコシの害虫アワノメイガ駆除に使用されていた、土壌細菌由来の昆虫毒素タンパク質を組み換え遺伝子として取り込み、1995 年に飼料作物に限定して認可されたトウモロコシ品種「スターリンク」が取り上げられている。ところが 1998 年にその食品(タコス)への混入が発見された。「科学的アプローチ」としては、昆虫特異的神経毒素タンパクであれば、その哺乳類への影響はあまり考えられない。しかし 2001 年になって、その異種タンパクとしてのアレルギー誘発の可能性が示唆された。例え実際にアレルギー反応をヒトで引き起こす確率は低いとしても、リスク管理の「予防原則」に反することである。しかし米国では、GM 食品の表示義務は無く、わが国でも米国から輸入されて混入したものについては、5 %以下では表示対象外である。したがって農薬使用食品と GM 食品の選択について、消費者の「価値に基づくアプローチ」が閉ざされているのである。このような食品流通のグローバリゼーションの中では、狂牛病(BSE)感染家畜の飼料を通じた感染拡大や食品への混入も「スターリンク」の轍を踏まないとの保証は無い。

 終章では、伝染性悪性ウイルスや細菌を兵器として使用するバイオテロリズムとの闘いに触れ、グローバル化した経済の中での「食の安全保障」は、「調理、冷蔵、清潔、分離」のような個人的努力や企業内教育は勿論であるが、その上に環境保護と飢餓に立ち向かって国際レベルでの民主主義を守る国際的組織の確立が今後の重要な政治的課題であると結んでいる。

 「エネルギー問題は原子力で、食糧問題は遺伝子力で」という単純な発想は今や通用しない。第 2 次世界大戦の惨禍を体験した物理学者たちは、1955 年に核兵器の管理に関する科学者の社会的責任を自覚し、「パグウオッシュ宣言」として明確化し、原子力 3 原則として、「公開」「民主」「自主」を提唱した。組み換え DNA 技術を完成した P. バーグを中心とした遺伝学者たちも、その悪用の危険性を予見して、1975 年に「アシロマ会議」を開催し、「組み換えDNAの生物学的封じ込め」の国際的合意を提案した。原子力も遺伝子力も「両刃のやいば」であって、まだその前途は楽観できない。本書の「食品バイオテクノロジー」に限っても、市民の「価値に基づくアプローチ」を理解して企業の独占を公開させ、自主的、民主的論議の場を設け、「科学的アプローチ」との溝を埋める努力が今、科学者に要請されているのではあるまいか。

山岸秀夫(編集委員)