2010.2.27
 
Books (環境と健康Vol.23 No. 1より)

 

仲正昌樹 著

なぜ「自由」は不自由なのか−現代リベラリズム講義


朝日新聞出版 ¥1,500+税
2009 年 8 月 30 日発行 ISBN978-4-02-250629-0

 

 

 一般的には、「経済活動における自由主義と民主主義の実現としての資本主義」というように、自由主義と民主主義との両立が自明のものとされることが多い。しかし民主主義が、「独裁者の専制に対する民衆の多数決原理」というように極めて客観的に定義できるのに対して、自由主義は社会体制から個人の心理状態にまで及ぶ極めて多義的、主観的内容を含むものである。本書は、この「自由」という掴みどころのない概念を正面から捉えて考察したものであるが、結局読者を「自由という迷路」に踏み込ませた後、どこかに「自由」と「不自由」の暫定的な均衡点を設定して、一応の着地を試みさせるところで終わっている。本誌22 巻のサロン談義6「資本主義の行方」でも、自由主義経済社会が抱える問題に対する対案を出すことが出来ず、「正しく恐れる」ことを示唆するに止めているのに通底するものがある。それほどに、“捕まえたと思った瞬間に私の手をすり抜けていくものが、私にとっての「自由」であるのかもしれない”と著者は一応のまとめをしている。

 本書は朝日新聞のPR 雑誌「一冊の本」に2 年間、24 回に亘って連載した論考からなっている。大別すれば、(1)信教の自由 (2)自己決定の自由 (3)労働の自由 (4)民主主義と自由主義(自由/責任/正義) (5)自由意志 (6)自由な主体、となる。自由な討論の結果、多数派によって出された「民主的結論」も、少数派にとっては、必要条件としての意見表明の自由を留保した忍耐の不自由である。これに対して、岡本道雄先生が本誌サロン談義4 にも引用されているドイツの社会哲学者、ハーバマスは、“正義や真理をめぐる社会的コミュニケーションを全般的に活性化していく「熟議的民主主義」を提唱している”とのことであるが、このような討論を万人に強要することはできない。一方的な「真の自由(積極的自由)」の追求は、往々にして暴力的な専制を生みかねない。「自由主義」というのは各人が「自由に生きる」ことのできる社会を理想とするものである。しかしかつて米国の独立戦争時代の理想的価値観としての標語であった「自由か死か」という二者択一的な選択を迫られれば、現代人は多少の不自由と引き換えに「生かしてもらう」ことを選ぶ人が多いであろう。民主主義社会における「自由の理想」は幻想に近い。

 評者の見解を求められれば、「共に生きる」ということは、自らの自由と他人の自由とのバランスの上に成立する多少の不自由を共有することでもあろうか。あえて自らに残されている自由を探せば「足るを知るこころの王国」にしかない。

山岸秀夫(編集委員)