2010.2.27
 
Books (環境と健康Vol.23 No. 1より)

 

堀切 直人 著

原っぱが消えた−遊ぶ子ども達の戦後史


(株)晶文社 ¥1,900+税
2009 年 8 月 10 日発行 ISBN978-4-7949-6746-6

 

 

 現代の都市生活においては、正月でも子ども達と一緒に凧揚げが出来るような空き地はなく、子ども達が普段仲間と遊べる原っぱはなくなり、きまって、「砂場」、「ブランコ」、「シーソー」の3 種の神器の揃った細切れの児童公園に変化している。そこは子ども達が自由に遊べる空間ではなく、むしろ老人の憩いの場となっている所が多い。かつて遊びの場であった道端は、最も危険な交通地獄である。多くの子ども達は学習塾やテレビゲームのような孤独な仮想空間に追い込まれて、餓鬼大将はいなくなり、現実の生き物の生死を体験したり、行動の善悪を判断する場がなくなっている。このような変化は一体何時ごろから始まったのであろうか?

 本書は1923 年の関東大震災や1945 年の東京大空襲後に残され、突如出現した原っぱで遊ぶ東京の子ども達の自由空間に思いを馳せ、その消滅の歴史を追い、高度成長経済と少子高齢化との関連を明らかにしている。即ちこのような空き地が目の仇にされたのは、1970 年代以降である。著者は子どもの本性として、次の4 点を挙げている。(1)疲れを知らない探険家であること、(2)危険な遊びを好んで自信をつけること、(3)大人の介入できない自分達の秘密の世界を作り、独立感を味わうこと、(4)物を好きなように動かせる、雑草の茂った荒地を好む事。しかし、いずれも現代の「安心、安全」を重視した都市計画にはなじまない。

 このような子どもの遊びの変化は戦後の少年野球まんがの変遷にも反映しているようで、最終章では、戦後の社会全体の草野球化を反映した、面白ごっこの広場での少年野球まんが「バット君」(井上一雄作)と高度成長期の1971 年に創刊されたスポーツ根性物まんがの代表作としての「巨人の星」(梶原一騎作、川崎のぼる画)を対比している。

 ところで西田利貞さん(チンパンジーの社会、東方出版、2008)によると、約600 万年以前にチンパンジーとの共通祖先からヒトが分かれて以来、森から広い原っぱに放たれたヒトの子ども達は、2 足歩行の長所を活かして、集団遊び(対抗遊戯)を始めた。これは森のチンパンジーには見られないヒト特有の特徴である。そこには集団のルールがあり、「いじめ」どころか、いじめられる子を見たら誰かが助けるという同情心すら培われる社会的練習の場があった。そのヒト特有の歴史的習慣が、この半世紀くらい前に突然崩壊して、それで子どもにまつわる色々な問題が一気に吹き出てきているのである。

 2009 年秋の京都二科展に出品された、伊藤快彦作、「柳の馬場より平安神宮を望む」(1890 年代)を見ると、京都でも広々とした原っぱが残されていた。現在、京都では町家の景観保全と住民の生活の両立が問題となっている。せめて、子どもの本性を重視して、原っぱの代わりに路地を子供に開放して、自立的な心を育てるような施策がありたいものである。出来れば、都市郊外地でも思い切って断片化した児童公園を統合して、広い野生の空間を子ども達に開放する事も検討しては如何なものか?

山岸秀夫(編集委員)