2010.2.27
 
Books (環境と健康Vol.23 No. 1より)

 

須藤 功 著

大絵馬ものがたり(全5巻)−第1巻 稲作の四季


(社)農山漁村文化協会 ¥ 5,000+税
2009 年 9 月 30 日発行 ISBN978-4-540-09139-1

 

 

 絵馬というと、「困った時の神頼み」で知られるように、神の乗り物として神聖視された馬を木札に見立てて、「合格祈願」や「病気平癒」のような個人的な願い事を記して神に届けるものとして、当世の若者にも良く知られている。通常これらの絵馬掛けにかけられた小絵馬は一定の年限で処分されるが、絵馬堂などに奉納された大絵馬はほぼ朽ち果てるまで永久に掲げられている。しかも無名の絵師によって木板に直接描かれた大絵馬は実に様々で、当時の文化や生活、農耕・工作技術などを読み取る事のできる貴重な資料である。日本で最古のものは、奈良時代前期で、平城宮跡の長屋王邸宅から出土した断片である。現在まで絵馬として保存されている最古のものは、室町時代永享4 年(1432 年)8 月1 日に天理市石上神宮に奉納の「渡御祭礼図」とのことであるが、剥落がひどく絵は部分的にしか残っていない。平安時代初期に編纂された「続日本紀」によると、もともと権力者が雨乞いには黒毛馬を神に献上し、晴れの願いに白馬を献上したことから、やがて生きた馬は土で作った土馬となり、馬の図柄の絵馬に変遷したようである。

 本書は全頁グラビア刷りの豪華本で、全国の神社に奉納された大絵馬のうち現存する保存状態の良いものを選んで写真に撮り、全5 巻に分類したものの第1 巻である。本巻は「稲作の四季」であるが、続巻として第2 巻「諸職の技」、第3 巻「祈りのこころ」、第4 巻「祭日の情景」、第5 巻「昔話と伝説の人々」が予定されている。第1 巻に収載されたものの多くは江戸時代以後に奉納されたもので、第1 章・神仏と田に遊ぶ、第2 章・苗を植える、第3 章・田に水を送る、第4 章・稲作と農具と技術、第5 章・新時代の改革、に分けられている。第1 章は総じて農の楽しさを示すものが選ばれており、第2 章では稲作の過程を教えるものが多く、第3 章では水害や日照りの対策としての溜池や水車が描かれており、第4 章では農具の改良や脱穀・精米技術などの開発にも拘らず、年貢米納入にあえぐ農耕図が集められ、第5 章では明治維新政府が年貢米を金納に変え、地租改正で田畑に課税するための地面測量図や生産力増強のため湿田を乾田に変えるための馬耕図等が多く、新しいものへの農民の挑戦と抗議が象徴的に描かれている。

 京都では、秋の文化の日の頃になると、一斉に神社・仏閣の特別公開とか美術・博物館の特別展が行われ、多くの観光客が訪れて、手厚く保護された古い国宝級の障壁画や絵巻物などを鑑賞する。その多くは、概して有名な絵師達が高貴な人々の生活の一端を描いたものである。対照的に大絵馬は風雨にさらされ、古代、中世のものは既に変質、消失しているが、近世のものでも当時の庶民の生活が雅拙ながら直接表現されていて大変貴重な歴史記録であることを本書によって初めて知らされた。評者の住む土地の氏神は水度神社で平安時代初期に創建され、延喜式神名帳に記録されている。早速その絵馬堂を訪ね、大絵馬を詳しく見直した。大部分は絵が剥離して不鮮明であったが、江戸時代初期、元和5 年(1620 年)奉納のものに、氾濫する木津川の洪水から娘を抱えて避難する白髪の老婆と思われるものが描かれており、江戸時代末期、文政13 年(1830 年)奉納のものに伊勢神宮参詣の「おかげ踊り図」、天保5 年(1835 年)のものに神官が栗毛馬を引いて雨乞いをしている様子、天保6 年(1986 年)のものに木津川を遠くに望んで広がる豊かな田畑の眺望図、天保12 年(1842 年)のものに本殿前で何かを祈願する村人達が描かれていた。明治15 年(1982 年)、25 年(1987 年)、昭和11 年(1936 年)奉納のものに奉納相撲の番付があり、筆頭大関に寿大三郎とか近江富士とかの知らない名前があった。その後に、武運長久を祈る戦闘図があった様な記憶があるが、今は本殿修理寄付者を記した真新しい銅版に取り替えられていた。

 その後、社務所で白髪の老婆の由来を尋ねたところ、意外な事に、この地域では午後4 時を過ぎても家に帰らない子どもを浚って行く「4 時ばば」、即ち「子盗り」の子どもへの教訓であった。それにしても「子どもは風の子」で、昼間は外で遊んだ昔の風習を懐かしく思い出した。目の前の風雨に晒され朽ち果てて行く庶民の絵馬堂に比べて、国の重要文化財に指定されている本殿だけが、新しい檜皮で葺き替えられて美しく化粧されているのが対照的であった。もともと大絵馬は多様なものであるが、江戸時代のものに関する限り、神馬に乗った神への庶民の絵解き強訴であったとも言えようか。

山岸秀夫(編集委員)