2010.2.27
 
Editorial (環境と健康Vol.23 No. 1より)


健康願望とがん検診


篠山 重威

 

 

 健康でありたいという欲望は果てしなく続く。先進国では、人は皆、食、住、快楽などの基本的な欲望がすでに満たされたので、最後に残ったのは簡単には手に入れることのできない健康に対する欲望に固執し続けているのだという意見もある。厚生労働省が2009 年6 月3 日に発表した統計によると、2008 年のわが国の死因は、1 位がん(342,849 人、前年度より2 %増)、2 位心疾患(181,822 人、前年より4 %増)、3 位脳血管疾患(126,944 人、前年より0.1 %減)である。がんは1981 年に脳血管疾患を抜いて死亡原因のトップになってからも増加が続き、2008 年には全死亡に占める割合は30.0 %に達した。およそ3 人に1 人ががんで亡くなっているのである。アメリカの著名な作家・知識人、スーザン・ソンタグも「隠喩としての病い」という著書の中で、文化的レベルで悪について述べる時に「病い」という隠喩、特に、社会のがん、政治のがん、発展のがんなど、「がん」という言葉を用いることが多いことを指摘している。がんは正しく、人類の最後にして最大の敵なのである。新しく発足した民主党政権でも長妻厚労相は、前政権の5 年以内にがん検診率を50 %以上にするという「がん対策推進基本計画」を引き継いで、がんの早期発見に優先的に取り組む決意を示している。

 がんは一つの細胞が異常な増殖を繰り返して大きくなるが、径が1cm の大きさになるまでには10 から20 年の時間を要する。従って、小さいうちに発見して早期に治療すれば完治する可能性は高い。国立がんセンターの統計によれば、がんと診断された患者の5 年生存率は、男性で約45 %、女性で約55 %と言われているが、早期に診断されたがんの予後は非常に良好で、早期胃がんの5 年生存率は、95 %を越える。がんの早期診断、早期治療という医療が重要視されるのはそのためである。

 今回の特集「画像で病気を探る」では、最近、新しい診断法として広く普及してきた分子イメージングによる精神活動の解析、乳がんの画像による早期診断、FDG-PET による初期のがん診断の現状などが取り上げられている。

 筆者は5 年前に実の弟をすい臓がんで失った。会社を退職した後、ベンチャー企業を立ち上げ、新しい第2 の人生を始めようとした矢先のことであった。その年の5 月の連休には娘と2 人でグアムに旅行をしたが、帰国後間もなくして夜間に激しい後腹部痛をきたし近くの病院に救急車で搬送された。そこでの診断は、急性腹症ということで痛み止めだけが投与された。同様のことを何度か繰り返した後、最終的にすい臓がんと診断されたが、既にその時点では治療が出来ない状態にあった。それからは病室を訪ねるのがつらかった。相当な苦しみが続いた後、8 月の終わりにはこの世を去った。

 身近な者の死に直面したとき、人は4 つの過程をたどるという。第1 の段階は、死別の悲しみの制御されない感情表現、第2 の段階は虚脱の時期で、愛する人が生きていたときの過去の自分の生活の詳細を思い返し続ける。第3 の段階はひきこもりの時期と言われ、愛する人の死によって、消耗されてしまった神経エネルギーが元のレベルに向かって再構築されていく期間、そして第4 段階は適応の時期で、少しずつ、無気力感から解放されていき、自分中心の世界から抜け出していくというのである。しかし、死別という心の疵はほかの苦しみや悩みのように時が経っても簡単には癒されるものではない。

 長男を失った西田幾多郎が詠んだ歌に「今も尚あらぬものとは思われじかきし文字など懐かしきかな」という1 首がある。筆者も、弟の書いた字を写真の裏書きや名札などに見つけるたびに同じような思いに浸る。最近の早期がんの診断技術の進歩を見るにつけ、首都圏に住んでいながら何故早い時期に検診を受けなかったのかと悔やむのである。もし、早期がんの検診でこのような近親者にとって愛するものを失うという壮絶な喪失体験を防ぐことが出来ればこれ以上の幸せはない。

 筆者は以前から2 年に1 回は画像や内視鏡による検診を受けていたが、弟の事件以来、できる限り毎年この検診を受けるようにしている。1 つは、例えがんが急速に増殖し始めても1 年以内の変化であれば、それほどひどくはならないであろうと思うことと、画像診断にしても内視鏡にしても100%確実に診断できるものではないことが明らかにされているからである。最近、PET 検診と行楽地の旅をセットにした検診ツアーの宣伝を目にするが、継続したフォロー・アップをいかに続けるかという問題を十分に考慮しなければならないと思う。

 また、筆者は健康診断を受ける度に、検査医からは「今年も何も問題はありませんよ」という回答を期待している。しかし、検診で医師にがんが発見されたことを伝えられたら、どのような衝撃を受けるであろうかと不安に思うことがある。臨床医学は色々の機能分担を担っているが、筆者はいかなる場合においても、臨床医は患者とのコミュニケーションを十分にとれるだけの能力と賢明さを先ず持っていなければならないと思う。画像を解析するには何事にも動じず明晰な判断を必要とする。「沈着さと確信」という二つの約束された祝福の穂を刈り取っていかねばならぬのである。がんの検診は、当然ながら全く健康な時に受けるのが望ましいが、1 度がんの手術を受けた人が、その後のアウトカムをフォロー・アップするためにがん検診を受ける場合も多いと思う。その場合、もし再発や新しい転移が発見された時、どう患者に対応するかは医師に課せられた大きな試練である。

 患者とは苦しみ悩む存在(ホモ・パティエンス)なのである。英語で患者のことをpatient と呼ぶのは正しくそのことを指すのである。ジョーンズ・ホプキンズ大学の内科教授であったフィリップ・A・タマルティは、「よき臨床医をめざして」という著書の中で「今日では、病気の診断や治療に非常に効果的な手段が数多くあるが、病気を癒すという効果については、それが必ずしも患者やその家族にとって最良のものとなっていない」と述べ、臨床医は、単に患者の訴えや身体的状態を認識するだけでなく患者を一個の人格としてよく熟知することが必要であることを強調している。「病人は、極めて無防備で脆弱な存在で有るがゆえに、いつくしみ護ってやらねばならない存在。医師は、術知を基礎として患者の苦しみに共感し、脆弱な人間に思いやりの手を差し伸べる存在」(池辺義教)なのである。

 がん検診に関してもう一つ思うことは、予防医学の新しいパラダイムの項で述べられているように、日本における、画像診断機器の導入は、欧米の先進諸国より圧倒的に多いにもかかわらず、それを使いこなせる医師は世界で一番少ないのである。日本核医学会・臨床PET 推進会議のガイドラインには読影医の基準として、日本核医学会が認定したPET 専門医が常勤医として1 人以上いること、読影に際しては、PET 核医学認定医がダブルチェックを励行せねばならぬことが明記してある。この不均衡を解決しなければ、実りあるがん検診のシステムが確立されることは困難であると思う。この問題に関しては、医学会、行政を含めて社会全体で取り組まねばならないと思う。