Books (環境と健康Vol.22
No. 4より)
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内田義彦 著(山田鋭夫 編) 学問と芸術 |
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(株)藤原書店 ¥ 2,000 +税 |
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本書の著者は大正ロマンの時代に、良家の子息として生を受け、阪神間の旧制 7 年制高校で青春を謳歌した後、東京大学経済学部に進み、敗戦後の日本で、思想家として活躍した専修大学教授で、没後 20 年に当たり、その著作の一部が今回新たな装いで編集、再発行されたものである。その世間に憚らず、歯に衣を着せぬ発言は小気味よい。しかもその編集にも工夫が見られる。本文「学問と芸術」は 90 ページ程度であるが、その前段 40 ページには、その核心の言葉が、核心に触れる写真の上に重ねられて、読者の想像を掻き立て、後段 40 ページには数人の識者のコメントと編者の解説が掲載されている。 評者が本書を取り上げた理由は、本号Books のモンタルチーニの「老後も進化する脳」の中で、科学的創造性と芸術的創造性の違いを取り上げていたからである。著者によると、日本には既成の学問を取り上げようとする努力家、勉強家の学者は多く居るが、概して学会で地位を得ようとするものであり、科学的知識に「心の飢え」を感じて、学問の世界に活かして行こうとする者が少ない。論証されていないものの中にも仮説を立て、論証済みのことをもそのまま信じないという姿勢がないと、学問の創造は出来ない。学問の本質は真理への漸近的接近であり、絶対的真理は存在しない。真理への接近には想像力が求められ、そこでは芸術との共同が必要である。芸術には学問のような共同財産はないけれども、一人一人の人間に訴える絶対的意味がなければならない。地球上の再生産の構造そのものを問題にしなければならなくなった今、芸術と学問との再結合が求められている。 本書の編者による解説の最後に「がむしゃらな高度成長」の反省として、「百分の一としての人間」を見る学問の眼と、「生きた総体としての一人の人間」を見る芸術の眼をつなぐことに思想家としての著者の思いがあったと結んでいる。 評者の体験でも、科学者として初めての発見が普遍的真実であることを確信した時の新鮮な喜びは、筆致に尽くしがたい。しかし、それを多くの人に伝えるべく原論文として学会誌に投稿したとき、それが学会のパラダイムの枠内にあれば問題はないが、枠外にあると必ずその部分の削除、修正を求められる。したがって、このパラダイムの枠内で原論文を積み上げる優等生だけが生き残り、しかも日本の科学教育を担うのである。このパラダイムを突き破るのは「心の飢え」を感じた異端者だけである。科学者の「心の飢え」に発する創造的なアイデアは、芸術同様、極めて個人的なもので、予告も無く突然に出現する。科学的創造性を育てる教育カリキュラムなど存在しない。それでいて、ノーベル賞受賞となると、やれ創造性を育てる教育だとか、学会組織だとかと大騒ぎをする。ましてや創造的科学知を利潤の手段として科学技術に転用することを目論む行政は論外である。
山岸秀夫(編集委員)
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