Editorial (環境と健康Vol.22
No. 4より)
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菅原 努 |
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最近環境問題のなかで地球温暖化は個人の生活から政治に至る広い範囲で問題になっています。特に新しく就任した鳩山首相が「2020 年までに温室効果ガスを 1990 年比で 25%削減する」と宣言したことが注目されています。これの実現には大きなイノベイションが必要だと思いますが、前政府はもっとささやかな目標で、それをエコカーやエコ電気製品の普及から始めようとしていました。そのとき市民の心がけとして 3R が世界的に唱えられていました。即ち、 Reduce:使う量を減らす
これに加えて日本に来たケニヤ共和国のワンガリ・マータイさんが「もったいない」を取り上げたことはよく知られています。 でも私から言わせるともっと古くから 3R を軸として研究が進められ、欧米では大きな問題になっているのに、我が国ではまだ小さなグループの活動に過ぎない課題があるのです。それが「動物実験代替法」です。 私がこの問題に気づいたのは 1981 年のニューヨークアカデミーのPR 誌“The Sciences” にThe Test Tube Alternative(試験官代替法)という私にとっては奇妙な題名のレビユーを読んだのがきっかけでした。そこで欧米では動物実験について騒がれ、それに対してそれに代わる方法の模索が始まっていることを知りました。日本の雑誌でこのことが取り上げられたのは、1984 年の Journal of American Medical Association(JAMA)の日本語版に“ 動物を使わないテスト”という小さな囲み記事が出たのが最初ではないかと思います。その後も気をつけて見ていると国際的な科学雑誌の Nature や Science に激しい動物実験反対運動の記事や、これに対する動物実験支援の運動や代替法研究の進展などの記事が見られるようになりました。丁度昭和 57 年(1982)から理化学研究所に「実験動物の開発・維持・供給・モニタリングおよび情報システムの方策」を検討する委員会が設置されました。当時科学技術会議の議員をしておられた元京大総長の岡本道雄先生にお会いした折に、「そんなものを作るのならその中に動物実験による毒性試験に対する代替法のことを含めないと駄目ですよ」と偉そうな口を利いたばっかりに「それならお前がそれを担当しろ」と命令を受けてその委員会に加えられてしまったのです。 お引き受けしたものの、この分野は私にとって全くの未知で、代替といっても「山川草木悉皆成仏の我が国ではマウスやラットを何と置き換えたらよいのか」といった素朴な疑問から始まったのです。そこで先ず置き換えの考えられる細胞培養をしている数人の若い研究者中心に小さなグループをつくり、ドイツ帰りの研究者に動物実験反対運動の状況を聞いたり、欧米での代替法への取り組みを調べたりしている間に動物実験の大先輩である田嶋嘉雄が「動物実験学者の歩んだ道」という回顧録(1984)のなかで、いち早く 3R のことを紹介されているのを知りました。この 3R とは、 Replacement:置換え
を指していて、1956 年にRussell and Burch が言い出したものでした。初めは最初の 2 つは自明として、3 番目のRefi nement の意味は中々理解できず田嶋の回顧録を読んではじめて理解したような次第です。 当時一番問題になっていたのは、新しい化合物ができると必ず問題になる LD50(半致死量)と、特に皮膚につける化粧品で問題になる眼球刺激性を示す Draize 法というものでした。これは家兎の目に直接薬品を添加してその反応から刺激性を判定するもので、刺激性が強いと目が真っ赤にはれるので、動物愛護家の批判にさらされていたのです。 小さなグループは翌年の1985 年にはニュースレターを発行して海外の状況を知らせると共に企業の援助をえて研究の公募を行い研究支援をはじめました。私としてはそれまで細胞実験やコンピューター利用をしておられる研究者に自分の研究を代替法という目で見直してもらおうという意図があったのです。その後欧米での状況に対応して 1989 年にこれを学会に改組し、国際組織にも加わることになったのです。我が国でも動物実験に対する反対運動は盛んで、当時の新聞に意見広告として JAVA(動物実験の廃止を求める会)の名で「あなたも聞いて欲しい、2,000 万匹の泣き声」というのが出たりしていました。 このようにして 1993 年の米国のボルチモアーで開催された第 1 回動物実験代替法世界会議に、私が日本を代表して特別講演をすることが出来るようになり、我が国も世界の仲間入りを果たしたのです。そこで私が強調したのは、我が国で永年行なわれている実験動物慰霊祭のことでした。この私の講演を大きな拍手と握手とで迎えてくれたのはあの 3 つの R を唱えた Russell 博士でした。博士曰く「日本では実験動物に接する研究者の態度が違う。私がそれを痛感したのは霊長類研究所での慰霊祭に参加する機会があったからだ」と。この Russell 博士は残念ながら 2006 年 7 月に 81 歳で亡くなり、2007 年の東京での国際会議では「3R の元祖」と題して彼の追悼講演が行われました。 その後私は会長から身を引き、出来る範囲で経済的な支援を続けました。また化粧品業界も学会を支援して研究費を出してくれ、また動物愛護関係者も支援に加わってくれるようになりました。この分野では、丁度医学研究で基礎研究の成果が臨床で活用できるまでに厳密な臨床試験が必要なように、代替法が実際の毒性試験で公的に認められるためには Validation(仮に実証試験とでも訳しておきます)という手続きが必要です。これは我々にとっては初めての事態で、学会としてもそれへの試みが大事な事業になりました。これはその代替法が今までの毒性試験に代わる国内だけでなく国際的にも新しい標準として認められるための試験です。国際的に認知されるためには、科学的な内容だけでなく世界的な支持が必要で、そのための活動も欠かせません。 幸い我が国でも 2005 年に国立医薬品食品衛生研究所内に日本代替法評価研究センター(JACVAM)が設立され、それへの体制は一応整い欧米に対する 3 極の一つになっています。しかし、その内情はそんなに満足するべきものではないようです。私は今ではこの分野から遠く離れて精神的な支援を送ることしかできませんが、最近経験した 2 つのことからこの問題を提起したいと思います。 先ず、2007 年の夏に我が国で第 6 回の国際会議を東京で開催するからという招待状を頂いた時の事です。我が国の会員は 300 名位なので、どんな国際会議になるかと心配しながら参加させて頂きました。ところが会場は溢れるような参加者で一杯です。後で聞いたところでは全参加者は 1,000 名を越えたとのことです。その大部分は欧米からの人たちで、丁度 EU では 2012 年以後は動物実験を使った化粧品の販売は禁止されるということで、現実問題として代替法の動向が注目されていたのです。 私には、欧米での動物実験反対運動の激しさは絶えず Nature や Science を通じて知らされていましたが、我が国ではそれが全く実感されていません。私たちの代替法研究がその暴走を抑えるのに少しは役立ったと自負していましたが、こと此処に至るとむしろ国民も為政者もこの問題に余りに無関心なのを嘆かざるを得ません。そこでもう一つの驚きになるのです。それは最近の Nature の記事です。 その前に少しこの分野での最近の世界の動きを調べてみることにします。「動物実験に代わる試験法の評価に関する国際的な科学的合意が成立」というニュースが EUNews101・2009(4 月 27 日付け)に出ました。そこには「欧州代替法評価センター(ECVAM)および米国と日本における同等の機関(ICCVAM および JACVAM)とカナダの環境保健科学研究局が署名した」と書かれています。 さて、EU では 2006 年に制定された指令(Directive)によって一定量以上製造される化学物質は全て安全性試験をすることになり、それを今までどおりの動物実験で行うとすれば、余りにも数が多くてとても実行不可能ではないかとの危惧が出ています(Nature 460, 1065, 2009)。そこで、この代替法についてはその重要性が認められ欧州香粧品協会(Colipa)が 5,000 万ユーロ(約 6,500 億円)を支援すると、同じくNature(461, 158, 2009)が報じているのです。この我が国との余りにも大きな相違が私の 2 つ目の驚きです。 我が国で iPS 細胞が開発されたことを知ったときも、私の頭に真っ先に浮かんだのはこの代替法への活用のことでしたが、医学研究や再生医療への利用が盛んに論じられているのに代替法という言葉が一言も見られないのが残念です。ヒトの細胞培養で作った組織を代替法で活用するというのは私が昔から描いていた夢で、これが iPS 細胞で可能になるのではないかと喜んだのですが。 人々の安全のためには新しい化合物や薬品についての安全性試験は欠かせません。それには動物実験が中心になるとしても、それを何処まで代替できるか、これは科学の先進国に課された重要な課題であると思います。3R を通じてより合理的な毒性試験法が開発されるべきだと思います。この分野では最近では我が国からの働きかけもあって、中国、韓国も仲間に入ってきました。是非皆さんも一緒になって考えて下さい。
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