Editorial (環境と健康Vol.22
No. 3より)
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篠山重威 |
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2009 年4 月23 日の朝刊で、アシュリー・ヘギという名のカナダ人の少女が 17 歳で亡くなったことを知った。この少女は、遺伝子の異常により老化が速く進む病気「プロジェリア症候群」の患者であった。頭だけが大きくなり、身長、体重が増えず、皮膚が老化する。頭髪、眉毛が抜け、骨の成長が停止して、小人症になる。神経系ならびに脳機能は正常に成長し、認知症等の症状はない。主な死因は心不全及び多臓器不全で、動脈硬化が原因に挙げられている。この少女の自叙伝「All about Ashley」は日本語にも翻訳され多くの読者に感動を与えた。1991 年 5 月 23 日にカナダで生まれたが、生後 3 カ月から、皮膚が硬くなり始め、髪の毛が抜け出した。検査漬けの日々を送ったが原因は不明であった。ある日、母親ロリーが偶然にプロジェリアの記事を見つける。それをきっかけに精査が続けられ、人の 10 倍もの速さで年をとるこの病気が判明した。それ以来、少女は母とふたりで病気を受け入れ、強く生きてきた。2003 年、母の再婚で父親ができ、2004 年には弟が誕生する。しかし同じ年に、幼い頃から支えあってきた友人を失う。この本で、少女は悲しみを乗り越えて生きることへの心うちを語る。世界でわずか約 30 〜 40 人しかいない早期老化症・プロジェリアの子どもの平均寿命は、13 歳である。限 られた短い命を精一杯生きるアシュリーの姿に多くの人が涙をながした。 2003 年に、プロジェリア症候群の原因遺伝子が特定された。これは、ヒト第 1 染色体上にある遺伝子の異常で、それも正常遺伝子と比較して構成塩基が1 個入れ替わっているだけであった。これによって DNA へリカーゼというDNA の組換えに関与する酵素に異常がおこり、染色体が傷つけられて生後間もなく発病するのである。患者の体細胞は、核が正常な細胞と異なり大きくいびつに歪んでいる。このため、正常な細胞分裂がおこなわれず、さらに老化の促進を引き起こすことが示唆されている。 ウェルナー症候群と呼ばれる幼年発症型の遺伝性早老症もある。この疾患は 20 世紀の初頭、オットー・ウェルナーという若いドイツの医学生が 4 人の兄妹に発見し、1904 年に学位論文として発表したのが最初であった。低身長、低体重、白髪、両側性、白内障、皮膚の硬化・萎縮、嗄声などの外観を呈し、臨床像として耐糖能低下、骨粗鬆症、性腺機能低下、尿中ヒアルロン酸量の増加がみられる。多くの場合、平均 40 〜 50 歳で動脈硬化もしくは悪性腫瘍が原因で死亡する。この疾患も原因は DNA ヘリカーゼの異常であることが明らかにされている。これらの疾患に対して現在治療法は見つかっていない。 生物は、遺伝子という高度に制御された機能により、生理機能とその恒常性を維持している。この生体の統合機能が破綻をきたすと老化が始まると考えられる。老化のメカニズムに関しては、本号の特集で示されているように多くの学説が提唱されているが、未だに定説として確立されたものはない。それらの仮説は、寿命は遺伝子により積極的に制御されているというプログラム説、DNA、RNA、たんぱく質に突然変異や化学的修飾によってもたらされたエラーが蓄積して生じるというエラー説、体内の高分子物質が相異なる複数の高分子と結合して分解されにくい別の高分子を作り細胞が障害されるというクロスリンキング説、不対電子を持ち反応性に富むフリーラジカルが生体構成成分と化学反応を起こして障害をもたらすのが老化の原因とするフリーラジカル説、加齢に伴い免疫機能が低下し自己抗体の形成により自己免疫疾患が発症して老化を引き起こすという免疫異常説、細胞の代謝速度が細胞分裂速度に影響して老化が誘導されるという代謝調節説など実に多様である。 ところで、世界は今、すさまじい高齢化を続けている。現時点で、1 分に 150 人、1 日で 20 万人、1 年で 8,000 万人の割りで人口が増加しつつあるという。高齢化が進む理由の一つは、人の寿命が延びる一方で、出産率が低下するため高齢者が相対的に増加することに他ならない。2002 年に国連が発表した人口推計によると、地球上の 60 歳以上の高齢者数は6 億人を超え、2025 年には2 倍、2050 年には3 倍に増加すると予測されている。このような世界的に加速する人口の高齢化はすべての国において社会的にも医療の面でも大きな影響を与えるものと考えられる。 老化とは、「加齢とともに各臓器の機能が低下し、個体の恒常性を維持することが不可能となり、ついには死に至る過程」と定義されている。人は出来る限り健康を維持して長生きをしたいと願う。日本人の平均寿命は昭和の初めには男女とも 50 歳に達しなかったが、2007 年には男性 79 歳、女性 86 歳と世界一の長寿国となった。しかし、この寿命は2004 年にWHO が公表した同じ年に生まれた新生児の健康寿命と比べると、男性で 6 歳、女性で8 歳長いことになる。即ち、日本人の多くが、生涯最後の数年間を病に苛まされながら人生の終焉を迎えているのである。「人生七十古来稀なり」という杜甫の詩から東洋では 70 歳を「古稀」という名で祝ってきた。現在、日本人の大半は古稀を迎えるのは当たり前のこととなっているが、一方で、高齢化社会の出現は深刻な社会問題として取り上げられている。しかし、「老い」がすべて暗い出来事だけとは思えない。ユングは人間の集合的無意識にとって重要な原型の一つとして、老人の英知に対する尊敬を挙げている。確かに、中世の僧侶の中には当時としては驚くほど長命で、見事な死生観を示した者が多い。例えば、天海(天台宗)108 歳、性空(天台宗)90 歳、親鸞(浄土真宗)90 歳、一休(臨済宗)88 歳、忍性(戒律宗)87 歳、蓮如(浄土真宗)85 歳、白隠(臨済宗)84 歳、行基(奈良時代の僧侶)82 歳、法然(浄土宗)80 歳などである。低脂肪の精進料理と托鉢行脚の修行によるエネルギーの消費も健康の維持と長寿に関係したとも考えられるが、僧侶の生き方には、もっと深いものがあるように思われる。「老い」とは、おのれの「時」を、そしてその限界と終末とを予感し始めることだと言う人がある。道元の「正法眼蔵」には「有時」(うじ)という言葉があって、瞬間というものが人間に大切であり、「いま」を生きる事が重要であると説かれている。 日本人はどのような知識人であっても年を取ると、そのまなざしは回顧的になり、西欧的教養から東洋の文化的風土に帰還してくる事が多いといわれている。筆者は、天涯孤独の老年期に人間的な欲望を全て捨て、壮絶な生を生きた良寛の生き方に強く惹かれる。良寛の心の精髄に近づく手掛かりとしても「正法眼蔵」が挙げられる。良寛の生き方を象徴するものは「騰々任天真」、「騰々且任縁」など任運に転じる自然(じねん)の姿である。
栗田勇によると、この「任す」というのは、何か他のものに、依頼する、依存するという意味で任すのではなく、全てを放棄して捨てきり、「天真」なる巨大なる超越者のうちに自己実現している現実を認めることであるという。真冬に雪に閉ざされた庵の中で、極限状態で息をひそめて己の命を見つめる間にも、「生涯身を立つるに懶く、騰々天真に任す」という生き方に徹した。これも、放つ、心身放下する、あるいは捨身と言う道元の言葉に
通じるものであった。文政 11 年(1828 年)越後地方に大地震があり、多くの死者と家屋の被害がでたときも、「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬが良く候」と、すべてを成り行きに任せきって、どんな事が起ころうと全てを自分の運命として受け取る覚悟が出来ているという悠然とした「騰々天真に任す」の境涯が示されている。この時良寛が残した詩の中に「土波後作」と題するものがある。この詩には、不意の天災に対する悲嘆と諦念の中でただ世の無常を歎く老残の姿ではなく、世俗の軽薄を深く慷慨し、災禍は天災ではなく人災であると激越な調子で訴える烈々たる良寛の気概が見られる。一方、このように漢詩では形而下の一切を捨てて精神の世界に没頭している姿、豊な生命の残照、生死の問題を超越した胸中しか見せない良寛も、和歌の中では「老い」に対する悲哀をしばしば告白している。
などなど数え上げれば限りがない。 上述の老化の定義に基づいて、これまでの老人ケアは、医療に直結したものが中心であった。しかし、老人では身体機能は生物本来のメカニズムとして不可逆的に低下している場合が多く、肉体的な機能の改善を目的にした治療は不可能である。中川米造は「医療の原点」という著書の中で、このような患者にはコミュニケーションとしての医療が重要であることを強調している。患者が病に関して語ることは、カトリック教徒にとっての告解と回心に似ているというのである。告解は彼らにとって罪の赦しを得るために行なわれる秘跡であって、それによって罪の意識から開放される。同様に、行き場の無い患者にとっても、不安や苦悩はそれを語ることによって軽減するのである。不安や苦痛に苛まされているものに対する援助の手は一つにその語りに耳をかたむけることであろう。何故話を聞くことに効果があるかということに関しては、話をすることによって無意識に留まっている内容が外界の事物に投射され、意識化され、それによって新しい気づきを得て、自己のイメージや生活の意味を変える事が出来るからだという。近代文明は価値の基準を青壮年男性においてきた。中村雄二郎は、高齢化社会が現実化してくるに従って、合理性のみを追求してきた近代科学は新たな形態を取らねばならぬという。自然を大きな力で支配してきた能動的な力が、その方向性を失って、これまで能動的な原理に受け入れられることの出来なかった受動的なパトス、即ち痛みを通じて自己と異質なものを知るという思想が生れてきたというのである。それは人間の弱さを知ることであって、他人の苦痛を自分の問題と切り離して考えるのではなく、相手への係わり合いを自ら選択することに他ならない。老人医療も人間はお互いに傷つきやすい存在であることを出発点にしなければならないと思う。「老い」に関するもう一つの良寛の歌
には考えさせられるところが大きい。臨床心理学者は老人心理の暗いネガティヴな面を指摘する。老年期は価値観が多様性を示し、その存在様式は「狭小な生きられた時空性」という特色を持っているといわれている。ユングも「強い意欲を持って力の限り仕事に打ち込んでいる壮年期に人生の黄昏が始まり、それまでの価値と理想が逆転していく」と述べている。 京大病院で診療を担当していた時、筆者の患者であった京都の有名な寺院の高僧から「養其気」という自筆の書を頂いた。この語は宋の詩人欧曜修の「善く医する者は、其の疾を改めずして務めて其の気を養う」という言葉から引用されたものである。病む者と癒す者との間の人間関係を示した意味深い言葉だと思う。20 世紀の最後の年に、筆者は日本内科学会を主催した。その時のキャッチフレーズを「21 世紀に託すサイエンスとアート」とした。医学は人間学であって個人の科学であると考えるとき、人間の行為としての医療・アートに立ち返る必要があるというメッセージを伝えようとしたのである。「養其気」という言葉は、医療におけるアートのエッセンスをふくんでおり、“handling the sick man’s heart” という Pickering の言葉にも通じるものがある。
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