2008.12.4
 
Books (環境と健康Vol.21 No. 4より)

 

升味準之輔 著

なぜ歴史が書けるか


千倉書房 ¥2,800 +税
2008 年 5 月 12 日発行 ISBN978-4-8051-0897-0

 

 

 本書は、著者の「むすび」によると、同じ主題でほぼ25 年前に連載されたものを、1 冊の本に編集したものであるが、その長い歳月を経ても「なぜか歴史が書ける」との変らない結論に、却って著者への信頼感を強めた。

 序章では紀元前のギリシャのツキュディデスから、20 世紀の英国のアーノルド・トインビーまでの歴史家が登場し、1 〜 3 章では、それぞれ彼らが関心を持った同時代の出来事を後世のために記録した様子が描かれている。しかしいずれの史実も、どれを原因とし、どれを結果とみなすかは、歴史家の判断と選択次第であった。何故なら歴史家は結果を知っているが、進行中の歴史の中で生きている人々は結果を知らない。結果を知っている歴史家は気楽であって、後知恵によって軌道修正することが出来る。著者自身も第6 章で、伝記研究として、幕末維新での西郷と大久保を取り上げ、新しい見方を示している。第 5、6 章では 19 世紀から 20 世紀に亘る産業革命と社会主義を取り上げ、人間味臭い歴史物語の交錯としての見直しが示されており、興味深い。第 7 章では、結局どの歴史観も、その未来に何が起こるかを予言するのに成功したことは無く、未来は何時の時代でも可能性の世界であるとする。第8 章では、自然科学に刺激されて出現した社会科学は、自己の外側の実験観察可能な行動のみを対象とした内側のない客観的心理学であると、批判は手厳しい。結論として、トインビーの「歴史の研究」を引用し、「生命あるものについての研究である歴史的思考に、無生物について考えるために編み出された科学的思考方法を適用するという誤りを我々は冒しているのではないか」と自問している。

 自然科学は、仮説と検証、観察と実験を重ねて、自然界の再現性のある法則を発見し、人間の実用のための技術の発展に貢献してきた。しかし歴史研究において求められるのは、仮説・検証による原因・結果の規則性ではなく、人間間の関係を、結果を生み出す原因としてではなく、応答を呼び出す挑戦として描く「筋書き」であり、「物語」の発見であるとする。したがって同一の史料から異なる史実が引き出され、異なる「筋書き」が導き出される事も珍しくはない。

 この点では、ダーウィンの「種の起源」も、36 億年の生命の歴史学であり、「人生」は 100 年程度の個別性のある人間の物語である。そこでは、多くの偶然的事象の介在もあり、もっともらしい自然科学的数値化も迷信に堕する虞がある。今や、個々の「いのち」に対する「医療」にも、自然科学的知識の上に上積みされた歴史研究の見方が求められているのではないだろうか。

 

山岸秀夫(編集委員)