2008.12.4
 
Books (環境と健康Vol.21 No. 4より)

 

前田裕子 著

水洗トイレの産業史


(財)名古屋大学出版会 ¥4,600 +税
2008 年 5 月 15 日発行 ISBN978-4-8158-0592-0

 

 

 わが国では、水洗トイレは戦後10 数年間、庶民にはほとんど無縁であった。しかしこの 50 年の間に、乗用車とほぼ同じペースで普及し、昨年の対総住宅普及率は 80 %である。しかも、上下水道建設と衛生思想の普及により、1960 年以降水系伝染病としての赤痢の罹患率は激減し、コレラの大流行もほぼ撲滅された。その上、排泄という極めて陰秘な生活習慣も、腰掛け式水洗トイレを中心とした生活空間での快適な慣習へと変えられてきた。昨今では「和風便器の使い方」どころか、「お尻の拭き方」を知らない小学生が出てきているのだという。したがって、現在の大都市のコンクリートジャングルの中で生活していて、一番困るのはガスや電気が止まるよりも断水で水洗トイレが使えなくなる事であろう。

 本書は、トイレ「水洗化」の前史から始まる。ヨーロッパの諸都市でも、中世から近世にかけては、公然とゴミや汚水、時には屎尿までも道路に捨てられ、汚泥水を馬車がはねないように道路を舗装したり、溝が掘られたとさえ伝えられている。さすがに 14 世紀末には、屎尿の道路放棄は禁止され、地下に下水道が建設された。しかし下水道は川に直結し、「トイレ史本」に書かれているエピソードとして、ロンドンでも 1858 年の夏、テムズ河畔に建てられていた議事堂で議会の開催が不能なほどに川を覆う屎尿の悪臭が強烈だったという。ローマをはじめとする古代都市での流水式公衆トイレの存在を知っている人は異を唱えるかもしれないが、それは都市人口と下水道の許容度のバランスの上に立つものであって、19 世紀末の公共下水処理による水循環システムの完成までは、水質汚染によるコレラ、チフスなどの流行のリスクに常に曝されていた。19 世紀末に、東京に來日した民俗学者でもあり生物学者でもあったエドワード・モースは、その屎尿を肥料として運搬し、農地に散布していた日本人の態度と感覚に驚いたが、東京のコレラ、チフスによる死亡率が、故郷のボストンよりも低い事を知って、その原因を追究した。その結論として、日本人は「生水」の飲用の危険な事をわきまえ、水を煮沸し熱いお茶を引用する習慣が功を奏していることを指摘した。近代的水洗トイレは 19 世紀後半のイギリスで急速に発達したので、富国強兵を掲げる明治維新政府が積極的に西欧文明を取り入れたときに、都市化の進展と共に水洗トイレが普及してもおかしくは無かったのであるが、その普及が緩慢であったのは、我が国では極めて効率的な屎尿の肥料としての農村還元システムが機能し、汚物の資源としてのリサイクル技術が確立していたからである。

 本書は、トイレ「水洗化」の前史で、衛生陶器の工業化に努めた強力な個性の存在に焦点を当てたものである。水洗トイレに必須の陶磁器は日本の伝統産業であったが、幕末以降は洋食器の日常的需要に向けた輸出産業として栄え、その絵付けなどの職人が瀬戸、東濃などに集められ、名古屋を中心とした中部地方がそのクラスターを形成した。その立役者は森村グループ企業であったが、その中から大倉孫兵衛とその子の和親が核となって、衛生陶器と水周り金具の国産化が始められ現在の東洋陶器(TOTO)や伊奈製陶(INAX)へと発展した。しかし当時は、水洗トイレは大変高価で、その利用はハイカラな富裕階級に限られていた事であろう。それでは、もっと大きな市場規模の見込めるガス、電気などの日常品でなく、あえて日本人の感性になじまない、市場規模の限定された水洗トイレの工業化に、何故彼らは注目したのであろうか。大倉孫兵衛は、1893 年のシカゴ万国博覧会で白色衛生陶器を見学して文化的ショックを受け、「やがて日本も外国のごとく一家のうちに糞便を置く事の出来ぬようになるのは明らか」と言い放った。この欧米型清潔観に賭ける狂気と紙一重の情念を共有し、事業化した父子がいなかったら、今日我々が享受している様な快適トイレの普及は相当遅れたと思われる。

 戦後の高度経済成長による住宅産業の発展と公共下水道の普及の中で、腰掛け式水洗トイレは「衛生の設備」から「快適空間」の一部へと変身し、さらに電気設備を付帯して多様化し、温水洗浄便座(ウオッシュレット)も商品化された。本号 Books 談義 9「チンパンジーの社会」で取り上げられているように、「ウオッシュレット」は亡国の発明かもしれないが、プライバシーの保障された快適な「癒し」の空間でもある。前号 Books「ディーゼルエンジンと自動車」で取り上げたように、夢の「ものづくり」にかける技術者魂と旺盛な起業家精神を手近に見る思いがした。

 

山岸秀夫(編集委員)