2008.12.4
 
Books (環境と健康Vol.21 No. 3より)

 

鈴木 孝 著

ディーゼルエンジンと自動車−陰と光 生い立ちと未来


三樹書房 ¥1,900 +税
2008 年 3 月 25 日発行 ISBN978-4-89522-509-0

 

 

 著者は 1928 年生まれで、1952 年東北大学工学部卒業後、日野自動車に入社し、1999 年の退社まで一貫してエンジンの設計開発に人生を賭けたエンジニアである。本書の帯には、「ディーゼルエンジンはそんなに悪いのか?」との挑戦的な問いかけがあり、そのエピローグには、「おい、ディーゼルエンジンというのは反社会的なエンジンと言うではないか、そんなものを作るのはいい加減に止めろ!」との工学部の同窓生からの思いがけない忠告がエピソードに出ていた。このエピソードは、真実を自ら確かめずに、知らず知らずのうちにマスコミの一方的情報に操作されている自分自身への忠告と警告とも受け取り、本書を開いた。しかも目次を見ると、(1)光散乱、(2)黎明、(3)曙光、(4)晨光、(5)光明、(6)旭光、(7)光華、(8)光彩、(9)蛍光、(10)光燦然、(11)来光、とあり、あたかも人生の「生老病死」を語る宗教書のようであり、事実、真剣にエネルギー問題を過去から説き起こし、未来を見据える求道僧の姿を老エンジニアに見る思いがした。

 「プロメテウスは、人類に火を使う技術を教えたかどで、ゼウスの怒りを買い、コーカサスの絶壁に繋がれ、毎夜鷲に肝臓をつつかれる責め苦にあったが、ヘラクレスによりようやく救出された」とのギリシャ神話が挿入されており、随所に独自のアイデアを示す手書きの図表が散見され、専門家でなくとも肌のぬくもりが感じられる。約 20 万年前のヒトの誕生以後、「狩猟採取民」から「焼畑農耕民」の過程での「調理加工の技術」としての火の使用は必須であったであろう。さらに 1 万年ほど前の文明社会の誕生には「言語の使用」が必須であったであろう。火は時として、争いの技術として用いられた事もあるが、そのエネルギーを仕事のエネルギーとして効率的に変換したのはエンジンの発明によるものであり、このことにより産業革命が起こり、近代文明が開化したが、それはこのほんの数世紀の出来事である。

 エンジンは、内燃機関とも呼ばれ、その原理は「急激にガスを爆発させる力」を利用する事である。熱源としては石油、石炭のような化石燃料を用い、ガソリンエンジンが、揮発しやすい(沸点の低い)油(ガソリンなど)と空気の混合気体を引火させて爆発させるのに対して、ディーゼルエンジンでは、予め空気を着火温度まで圧縮しておいてから、比較的沸点の高い油(軽油など)を噴射し、自己着火させるところに差異がある。従って、後者の方が、前者に対して燃費効率はほぼ 3 割程度高く、従って温暖化物質である CO2の排出量も少ないのが専門家の常識である。ところが、1980 年代の大量消費時代に入って、光化学スモッグを惹き起こす自動車の排出ガス成分としての NOxが、とりわけディーゼル車の不燃物としての微粒子(煤)が公害問題となり、日本では、1999 年の石原東京都知事の「脱ディーゼル宣言」によって止めを刺された。事実、2005 年に経済産業省が行った、地球温暖化に対するイメージ調査では、ガソリン乗用車に対してディーゼル乗用車が悪いと答えた一般市民が、日本では 76.4 %であったのに対して、ドイツでは 16.4 %であった。この違いは、まさにその後のディーゼルエンジンの日進月歩に対する日本のマスコミの不勉強を反映した力量の差でもある。現在のヨーロッパでは、ディーゼル乗用車のシェアが半数を超え、石油精製成分中の軽油が不足し、ガソリンが過剰となり、これを米国に輸出しているのが実情である。地球上に他生物と共生する人類のエネルギー利用は、今後の重大な問題であり、「エネルギー環境教育」(持続可能な社会のためのエネルギー環境教育、国土社、2008)は必須である。しかし、マスコミ情報と大資本に操作されるエネルギーの「節約」と「リサイクル」のみの消極策では、新たな廃棄物処理産業による更なるエネルギー負担を生み出しかねない。

 本書の最終章「来光」では、ディーゼルエンジンに固執せず、化石燃料の代替えとしての水素の利用に夢をかけている。水素は、天然には存在しないが、それを生成するエネルギーは天然に存在している。しかもその燃焼産物は「いのち」の水である。天然エネルギーの送電方式も小容量にして、大胆に交流から直流に切り替えれば、エネルギーのロスを大幅に削減できる。水素を爆発的に燃焼させないで、動力を取り出すとすると当然燃料電池に行き着く。当面は、水素の外に、ディーゼルエンジンの熱源として、非食料バイオマス(藁など)や廃棄バイオマス(間伐材や廃油など)の利用を考える事も必要であろう。もっとも、これらバイオ燃料の利用への道の遠い事は、本誌 21 巻 235 ページ、Random Scope で指摘されている事ではあるが、本書のテーマの主題ではない。

 本書は、理系の図表を跳ばして、本文だけでも読み通せば、文系の方々にも十分真意の伝わる技術者魂に満ちている。将来、エンジン屋は火をプロメテウスに奉還し、人類は木々の緑と小鳥のさえずりの中で、山頂から日の出のご来光を迎えることが出来るかもしれない。しかし、本書のような一般世論に再考を促す専門家による良書の普及を阻んでいるのは、マスコミ報道に毒されていない読書家すらもベストセラーのランキングに取り込み、はびこっている、えせ科学者達の著作である。

 

山岸秀夫(編集委員)