Books (環境と健康Vol.21
No. 2より)
|
|
森岡孝二 編著 格差社会の構造−グローバル資本主義の断層 |
|
(株)桜井書店 ¥ 2,700 +税 |
|
昨年、11 月末に当イメリタスクラブ(名誉教授の会)の秋の旅行として、西田利貞所長の案内で日本モンキーセンターを訪れたとき、チンパンジーの向かいの檻が開かれていて、そこに、「ヒト:未来を予測する能力があるが、地球上でもっとも危険な動物」との札だけが下がっていた。現に、地球温暖化が人間の欲望充足のための過度の化石燃料の利用が引き起こしたものであるとの認識が広がり、その対策に世界各国が取り組んでいる。評者は、ヒトに特有の言語の発明と共に発展した文明の帰結として当然のことと考え、自然と共生して環境を守るには、原子力と遺伝子力の利用しかないと単純に考えていた。ところが一般社会では原子力発電も遺伝子改変作物も悪の代表選手と見られているふしがある。分子遺伝学を専門とする評者としては、農薬漬けの大豆よりも遺伝子改変大豆で作られた豆腐に軍配を上げたいのだが、世間の評価はどうも芳しくない。評者が専門外の本書を取り上げた動機は、全8 章からなる本書の最終章に、「バイオテクノロジーと多国籍種苗企業」のタイトルを見つけたところにある。 ここでは、かってのインカ文明の食糧であり薬であったトウモロコシが、現代では飼料作物とされ、肉食源となり、単一効率栽培が発展途上国で推進され、大量の地下水を枯渇させて荒地にした上、グローバルな大資本が大量生産用の一代雑種のハイブリッドコーンの種子の特許を独占し利潤を上げている実態が報告されている。さらに環境にやさしい化石燃料の代替エネルギーとしてのバイオエタノールに注目し、トウモロコシの作付面積を増加させたため、飼料としてのトウモロコシも食糧としての小麦も価格が高騰した。この流れの中では、遺伝子改変技術は、大資本の追い風を受けて、その戦略技術の一端を担っている。特許権、patent の出自は、本来「公に通用する」を意味するラテン語に由来したとのことであるが、知的所有権を主張して、特許権で保護された遺伝子組み換え作物種子は、例え自然増殖できたとしても栽培は違法とされている。耕作民は毎年種子の購入を強要される。ここまで来れば、資本に超過剰利潤を与えないように、種子の特許権を制限し、かつ短期に公に開放する事、できれば廃止する必要があると訴えている。キューリー夫人が、ラジウム製法特許に関し、「情報を独占しておくのは科学の精神に反する」と断ったとのエピソードも紹介されている。本書では言及されていないが、現在再生医療のための幹細胞の特許申請が科学者の意思に反して行われようとしている。人間の「いのちの医療」さえもが、医療倫理を超えて、大資本の戦略産業と化する危険性をはらんでいる。さらには、原子力発電も大国に独占されている現在、最も危険な資本の戦略産業となっている。評者の原子力と遺伝子力に翔けた未来の夢も、本書によって単純なユートピア物語として砕け散った。 本書の序章で述べられている「格差社会の拡大」は、1980 〜1990 年代の、(1)IT 産業の勃興(情報通信革命)および(2)遺伝子塩基配列の解読(遺伝子工学革命)と期を一にしている。石川啄木が「一握の砂」の中で「はたらけど はたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見る」と記した、ほぼ100 年前の明治末期に逆戻りしたような、ワーキング・プアの誕生である。これはグローバルな現象であるが、本書では特に日本経済に焦点を当てて、資本主義の危機に警鐘を鳴らしている。2003 年度現在の統計ですら、全国5,000 万世帯中、金融資産が5 億円以上の5 万世帯(超富裕層)、1 億円以上の81 万世帯(富裕層)と5,000 万円以上の280 万世帯(準富裕層)に対して、預貯金ゼロ世帯が1,200 万世帯で、その中には多重債務の200 万人、自己破産の24 万人、生活保護の100 万人が含まれている。企業レベルで見ても、資本金10 億円以上の600 社、0.2 %が全企業資産のほぼ半分の47 %を保有していて、しかも外資が主役となっている。ウィンブルドンテニスの主催国である英国から優勝者の出ないのをウィンブルドン現象と呼んだが、今の日本経済は、国技の相撲で横綱の出ない国技館現象である。いわゆる美しい国は幻想であり、希望の国への見直しが求められている。真っ先に見直すべきものとして、新しい働きすぎの正社員と、アルバイト、派遣社員、請負制度の順に低賃金の細切れ雇用の深刻化を挙げている。朝青龍や白鳳の母国、モンゴルの首都、ウランパートルで、今も厳冬を地下で凌ぐマンホールチルドレンの現状が、3 月19 日NHKBS ハイビジョン特集「マンホールで大人になった」のタイトルで放映された。 本書を読み終えて、再び「人間の幸せ」とは何かを考えさせられた。「機会の平等」を唱え、バーチャルな巨万の富を抱え込んで、ひたすらその資産増殖のために生かされる人生とマンホールの中で貧しくとも互いに助け合って生きる人生が対照的に眼に浮かんでくる。人間の築き上げた文明も、結局は「食う・食われる」の食物連鎖の改訂版に過ぎないのか? それとも、右肩上がりの経済に決別して、「人口増加の抑制と冨も貧しさも分かち合う共生」の新しい持続可能な社会の再構築が可能なのか? 21 世紀の次世代に残された重い課題を本書は提起している。 山岸秀夫(編集委員)
|
|
|
|