Books (環境と健康Vol.21
No. 1より)
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竹本修三、駒込武 編 京都大学講義「偏見・差別・人権」を問い直す |
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京都大学学術出版会 ¥ 2,200 +税 |
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本書は京都大学の同和・人権問題委員会が取り組み、1994 年度から開講された全学共通科目「偏見・差別・人権」の2005 年度基幹講義関係者の協力によるものである。本講義は、特定の専門家に任せず、学内10 学部が順次責任部局となって企画、運営にあたり、受講生も講師も共に自らの視線を新たにすることを目指している。2005 年度の責任部局が理学部であったので、地球物理学を専門とする竹本修三教授が、企画責任者として受講生の感想を記入した出席表を回収するなどの改善を試みられた。本書はその企画を生かして編集されたもので、教員が執筆するばかりでなく、学部学生、大学院生、職員も参加している。巻末には、受講生とのメール討論も掲載されている。 同じ2005 年に、同和・人権問題委員会は、人権委員会に改組された。「人権」の一般的な定義は、「生命、自由、名誉などを保障される権利」であるが、「人権が侵害される」場合には、必ず加害者と被害者が存在する。しかし場合により、加害者意識も、被害者意識もかなり主観的なものであり、無意識の内に過ぎて見えないことも多い。そこで、ここでは、加害者も被害者もかなり客観的に同定できるようになった公害問題から始めて、民族問題、性差別、障害者問題を取り上げ、亡霊のような被差別部落問題で閉じている。一貫して、見えないものを見えるものとして見据えようとする編者の科学者としての姿勢が伺える。 公害は、先進国の第二次産業(工業)が引き起こしたものであるが、その発生源を今や開発途上国に移転させ、第三次産業(情報)で世界経済を支配し、公害問題を世界規模の環境問題にすり替え、エコ産業を起こし、加害者意識を分散させようとしているとの指摘は厳しい。 民族問題では、未だに各種学校として差別されながら、「門をくぐれば誇りを持って生きていける」在日朝鮮人の「朝鮮学校」、加害者でもあり被害者でもあった「満州開拓農民」、忘却された日本軍「慰安婦」が取り上げられている。 性差別の項では、生物学的な差を考慮した男女共同参画とは、二色刷り社会を単色にするのでなく、多色刷りの社会にする動きとの主張には説得性がある。 障害者の項では、「外側のものさし」(正常性を前提に異常を見出そうとする立場)と「内側のものさし」(目の前の相手と共有できるものをその都度探ろうとする立場)の指摘が注目される。「内側のものさし」をもって柔軟に対応することによって、障害者との連帯感が深まるであろう。障害者には「障害を自覚する大切さ」(自分の努力不足のせいでない)、正常者には「みんな一緒」から「みんなそれぞれ違う」(独自の感覚と対処法を持つ)への意識変革を求めている。 同和問題では、差別者がフィクション(虚構と強制)として一方的にあぶり出した部落・部落民問題に無関心でいるのは、差別側に回るものであるとするが、時として、差別.被差別の反転も起こりうるとの指摘も忘れていない。 日本国憲法が国民に保証している「基本的人権」の侵害が多発している昨今、京都大学が全学挙げて専門分野を越えて取り組んだ本書に見られる姿勢は、必ずや全国の大学に伝播し、学生の心を揺さぶり、「いのちのネットワーク」を広げるに違いない。
山岸秀夫(編集委員)
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