Books (環境と健康Vol.20
No. 4より)
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竹林一志 著 「を」「に」の謎を解く |
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笠間書院 ¥ 2,500 +税 |
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著者は、日本語日本文学の大学講師で、学位取得後間も無い新進気鋭の若者である。本誌の編集者として、出版原稿に何度も目を通す機会があるが、文中の助詞にはいつも悩まされ、単純な反復使用は別として、概ね原文を尊重している。特に「を」と「に」は多様な用法を持ち、似ている様で異なるのである。韓国のハングル文字にも「を」「に」に対応する助詞があるが、そのまま逐語訳すると、用法が逆転する場合もあるそうである。結局前後の主語や動詞との関連で決まるので、多様であるが、構文の抽象的心的イメージ(スキーマ)は共通で、丁度「一見多様なものを一つの数式で一気に統制してしまう」数学の美しさ、豪快さというものが助詞にはあるとのことである。このような序論とあとがきの魅力に引き込まれて、素人が通読した、国語学としての真髄の理解に達していない書評というのが真相である。 著者は随所で「違い」を「違い」で終わらせず、「違い」を超えた「共通性」を知り、小さな「違い」を大切にすることの重要性を強調している。例えば、「あの母親は、良く、息子を(に)買物に行かせる」の構文でのをとにの違いは微妙であるが、卑近な例を本誌前号(20 巻3 号)Editorial p.292 によると、「何故日本では成功した、戦勝国米国からの民主主義の移植が、イラクでは失敗しているか、それを(に)アメリカ人はなぜ気づかないのか」の構文では、スキーマをも揺さぶる違いがあるように思える。欧文の前置詞の使用法も編者には苦手であるが、自国語の助詞も「を」「に」に限らず、文化の継承性の立場からきっと重視されるべき問題を提起していると思う。本号の「随想欄」で、「旧仮名遣い」を文化の継承として認識することの重要性を提起された(故)久米直明氏の遺稿と共に考えさせられた著作である。しかし、現在の本誌の編集体制で、原文の助詞を訂正するのはおこがましく、ここでは問題点の提起にとどめ、著者の「スキーマ」を尊重しての現状維持をお許し願いたい。
山岸秀夫(編集委員)
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