2007.9.10
 
Books (環境と健康Vol.20 No. 3より)

「植物の軸と情報」特定領域研究班 編

植物の生存戦略「じっとしているという知恵」に学ぶ


朝日新聞社朝日選書 ¥ 1,200 +税
2007 年 5 月 25 日発行 ISBN978-4-02-259921-6

 

 

 本書は、文科省の上記特定領域研究班に属するほぼ 80 名の研究者の中から、研究代表者が 10 名の取材先を選び、そのそれぞれにサイエンスライターを起用し、5 年間の研究の進歩を先人の業績を踏まえて語ってもらった原稿を、取材元でチェックした上で、代表者を中心とした世話人が科学的事項に関して再チェックし、全体のスタイルを統一したものである。したがってこの企画は、「科学研究の成果を専門家の科学者だけでなく、研究費の源泉である納税者一般の方々にも分かり易く伝えていく義務がある」との代表者の見識に支えられて実現したとも言える。それだけに各章を担当した研究者の学問に対する熱情が平易な言葉で、直接読者に伝わってくる。

 最初の第 1 章で餌を求めて動く動物と自然界に豊富に存在する光と水を利用する動かない植物の生き方を対比して、その基本的な差を細胞構造と極性軸から説明している。第 2 章では葉の形を決める遺伝子、第 3 章では花芽をきめる(花成)遺伝子、第 4 章では開花を支配する遺伝子、第 5 章では受精を誘引する物質、第 6 章では植物を地下で支える根の形成に関する遺伝子、第 7 章では大気中窒素をとりこむ根粒菌や地中からリン酸を吸収する菌根菌と根の共生のメカニズム、第 8 章では動物の循環系に相当する維管束形成のメカニズム、第 9 章では植物の成長を調節するホルモンの作用機構、第 10 章では食糧危機を乗り越える緑の革命としての品種交配と遺伝子組換え技術が述べられている。

 各章をほぼ 20 ページに納めて、体系的に配列されているので、全体としては現代の「植物学通論」といっても良いまとまりになっている。評者は昭和 30 年(1955 年)に京大理学部植物学科に在籍していたので、特に興味を引いたのは、第 8 章の水の通路である導管内部の多様な美しい模様の形成である。学生時代必死にスケッチしたのを思い出し、その導管の模様を決める遺伝子が同定されたのを知って、この半世紀の進歩を実感した。また第 5 章では、被子植物特有の重複受精、すなわち次世代の二倍体の胚を作る受精と胚の成長を支える三倍体の胚乳を作る受精が同時に起こる機構が明らかにされつつある。実は植物学科の大学院入試の面接で、将来取り組みたいテーマとして評者が答えたのが重複受精であった。即刻面接者からどのようにして解明するのかを問われて窮したことを思い出した。やはり半世紀の進歩は凄いと思った。また「いのちの科学を語る」第 3 集「虫と草木のネットワーク」で示された、害虫に食害された植物の出す SOS 匂い物質を誘導するシグナルも、本書第 7 章で根粒菌に感染した時にその植物の地上部分から発され根粒の数を制限するシグナルも同じジャスモン酸であるということを知って、同一物質を多様な戦略に転用する植物の知恵に驚いた。また地下菌根で繋がれた異種植物間のシグナル交流も、匂いの SOS シグナル伝達に劣らず驚きであった。

 ほぼ同時期に本書と同様な企画がなされ、日本植物生理学会の監修の下、一人のサイエンスライターが 8 研究室を取材し、「植物が地球をかえた!」(化学同人、2007)を執筆している。著者であるライター自身の考察を含め、現場の取材によって得た独自の生命観の章を期待したが、期待はずれで取材記事の列挙に終わっていた。やはりライター任せでなく、本書にみられるような研究者の熱意と密接な協力無くしては、文理融合の智慧を働かせたサイエンスライターの一人立ちはまだ先のよう思われる。

山岸秀夫(編集委員)