2007.6.13
 
Books (環境と健康Vol.20 No. 2より)

正高信男 著

ヒトはいかにヒトになったか−ことば・自我・知性の誕生


岩波書店 ¥1,800+税
 2006年11月22日発行 ISBN4-00-005876-2

 

 

 本書の著者は、およそ2600万年前に我々の共通祖先から分岐した類人猿のテナガザルについて、野生と室内の両方の観察を続け、<人間のことばのルーツはテナガザルの「うた」である>との仮説を抱いた。科学雑誌、テレビ、新聞などで、盗作や捏造が横行している昨今、筆者が著者に好感を抱いたのは、今から130年以上前に刊行された、C. ダーウィン著「人間の由来」の「人間の精神作用」の中で、この仮説が既に論じられていたことを再発見し、率直に巻頭で告白しているところにある。しかし新古今和歌集は古今和歌集の「かえ歌」(盗作)の域を脱して「本歌取り」によって、「もと歌」をよみがえらせたように、本書はC. ダーウィンの「人間の由来」の現代的理解を深めることに成功している。

 先ず第1、2章では、「どうして類人猿の道からそれて、一匹の人間として歩み始めたのか」に答える鍵として、「音楽から始まった言葉の取得」を挙げている。言語障害者の研究から、大脳には運動性の言語中枢と感覚性の言語中枢が存在することが知られた。すなわち言語を「話す」能力と「聞く(理解)」能力である。「歌う」ことと「話す」こととの重大な違いは、前者では音が連続するのに対して、後者では音が分断されて、分節化したものから構成されているところにある。音の分断には、空気の流出入を断続させる、のどの奥の声門の頻繁な開閉が必要であるし、その音声の多様化には口腔の運動による母音の子音への修飾が必要である。そのためには舌下神経の発達が必要である。化石から舌下神経そのものの痕跡を知る術はないが、舌下神経の通じていた神経管の口径の復元は可能である。その結果、今からおよそ30万年前に、ネアンデルタール人(旧人)同様、私達の祖先(新人)は現在と同程度の舌下神経の発達段階に到達していたとの知見が発表された。他方、言語中枢野での分子時計から逆算しても、私共の祖先は約10万年前には今の形になって、ことばを話し出していたようである。私達の直系の祖先が、森に残ったチンパンジーなどの祖先から分かれて草原に生活の場を求め、二足歩行を始めたのが200〜300万年前であるとすると、ヒトらしい生物が出現してから今まで、ほとんどの期間は言語なしで生きていたのであって、人間の進化の最終ページに言語という情報交換の手段を携えて現生人類が出現したのである。今や、分節化による肉声言語表現に留まらず、連続する音楽までもデジタル化し、CDの機械音として表現するに至った。

 夜行性の嗅覚動物としての哺乳類の中で、数千万年前に新たに色覚を再獲得して、昼間でも活動できるようになった旧世界ザルを共通祖先として、各系統が独自に進化の道を歩み出し、その一つが現生人類(新人)となった。私達の直系の祖先が出現した10万年前から2〜3万年前の間は、ネアンデルタール人(旧人)と共生していたことになる。しかしネアンデルタール人も言葉を使用していたかとなると、その可能性は低いとのことである。彼らが生きていた30万年の最後の10万年に現れた、ニュータイプの近縁種こそがまさに現生人類である。現生人類は言語の発生によって、その生活圏を飛躍的に増大するのに成功し、新たな市場経済で結ばれた社会関係を築き、人口を急速に増加していった結果として、ネアンデルタール人が絶滅したのではないかと考えられている。

 ここでの主題は、「多くの化石人類の中で唯一の勝者が決定する歴史的な分岐点としての言語遺伝子の進化」であり、しかも分岐点の言語遺伝子は運動性のものであって、感覚性の言語遺伝子の進化はもっと年代を遡るらしいのである。その証拠として、生後48時間のヒトの赤ちゃんとサルに共通する音楽への好みは、モーツアルトに代表される協和音のメロディーとのことである。いわば感覚的言語中枢の働きとしての、音楽への本能的好みを踏み台として、10万年前に運動的言語中枢の遺伝子変異が上乗せされて、初めて言葉を話すことが可能となったと考えるのである。

 第3、4章ではことばのルーツとなった「うた」についてはテナガザルを例に、言語習得については乳児を例に、生後まもなくの集団内での学習の重要性が語られている。せっかく祖先の一匹に生じた運動性言語中枢の変異も発現し学習されなければ集団内に固定しない。「いのちの科学」4月例会の渡辺大さんのお話では、親鳥から隔離されて、人口孵化で生育したカナリアは、親からの学習の機会を逸し、オスといえども一生歌うことのできない「歌を忘れたカナリア」なのである。

 第5、6章では、チンパンジーの自己鏡映像認知を超えて、共感としての言語的コミュニケーションが、あなたにとっての「私」を発見させ、自我が確立されていく過程を述べている。第7章では、聴覚的心像の過度の発展としての知性の出現に触れている。数学的思考まで含む視覚的情報処理能力を侵害してまでも、聴覚的情報処理を過度に発展させた知性、すなわちアナログ人間からデジタル人間への変遷を時間的因果関係の枠組みで捉えている。ここに一般人が何故常識(マスコミ)に囚われてしまうのかを解く鍵がある。

 終章では、現在デジタル情報に操作されている知性に、文化的感性の創出としての五感の復権を唱え、「一人のチンパンジー」としてではなく「一匹の人間」として、ヒトを理解しようとしている。京都健康フォーラム「五感シリーズ」第3弾として、本年3月に「聴覚」を取り上げ、第4弾として「視覚」を予定している世話人の一人として考えさせられる内容に富んだ好著である。

 現生人類の直系祖先のクロマニオン人が1万数千年前に、彼らの視覚の記録として見事な動物壁画をアルタミラ洞窟に残している。約五千年以上前に栄えたエジプトや黄河の文明は言葉の記録として視覚的な象形文字を残している。その頃も聴覚としての「うた」は普遍的なものであったろうし、現在でも言葉の異なる民族の壁を越えて心に響き、その記録としての楽譜もほぼ共通に理解されている。しかし音声言葉の方は多様化し、記号としての文字も多様化して、多様な文明を築いて来たが、互いの間に立ちはだかる言葉の壁はやがて宗教の壁ともなって、対立抗争を繰り返してきた。今や描かれる絵も、流れる音楽も、語られる言葉もデジタル化し、全ての文明が世界に共有される時代となったにも拘わらず、相互理解を阻む言葉の壁はパソコン変換ソフトに立ちはだかっている。ほんの数百年前に建国されたアメリカ合衆国は多民族国家ながら、公用語として英語を採用して言葉の壁をなくすことに成功した稀なケースである。合衆国文明を全世界のモデルと認めないならば、現生人類が共存する道は、それぞれの文明の多様性を五感で理解し、認め合う以外にない。現生人類の直系の祖先は全て化石人類としてしか存在しないので、最も近縁の現存する隣人社会は野生のチンパンジーである。「いのちの科学を語る」第4集は、野生チンパンジー社会の観察から、森に留まったものと草原への厳しい生活に踏み出したものに共通した、五感豊かな祖先の姿を復元し、現代文明を再考する契機としたいとの試みである。

山岸秀夫(編集委員)