2007.6.13
 
Editorial (環境と健康Vol.20 No. 2より)


京都健康フォーラム「音とこころとからだと」余禄


菅原 努 *

 

 

 先日行われた我々の財団が主催する京都健康フォーラム2006「音とこころとからだと」に主催者として挨拶するべく参加しました。3月24日に行われたこのフォーラムのプログラムは本誌の前号に予告が載っています(159頁)。私は、もともと耳が遠いのに当日は左の効き耳用の補聴器が故障して、内容はスライドから推定する外なく、当然肝心の音の方はほとんど聞き取れませんでした。そこで会場に座ってこのような新しい分野での研究のあり方を巡って頭の中で勝手な考察を走らせていました。丁度フォーラムの抄録集への挨拶にアインシュタインの「想像は知識より重要だ。何故なら知識には限度があるが、想像は世界を駆け巡るからだ。」という言葉を引用させてもらったところでしたから。

 まずは工学と医学の接点のあり方です。筑波大学の先生が多額の研究費を使って通常耳に聞こえない音の意味を研究しておられました。そのとき多くの正常人を使ってその脳の反応を記録しているのです。確かに工学ではこれが普通のやり方でしょう。しかし、医学では正常人に処理を加えることは出来ませんから、それには自然の実験すなわち機能に支障のある人、端的に言えば病人をうまく対象にすることが必要なのです。“音楽をこころに響かせて聴く”と言ったこの研究の本当の目的から言えば、私のような音楽を愛しながらも難聴のために音楽が聴けなくなった者を対象に研究してこそ、音と音楽との異同が明らかになるのではないかと思うのです。私はかねてから、私と同じような“歌を忘れたカナリア”に相当する人たちを呼び集めて、研究材料になればと言っているのですが、だれも取上げてくれません。今度の発表でうかがった規模と経費をもってすれば、脳における言葉と音楽の違いがきっと解き明かされるに違いないと思うのです。

 補聴器の故障を直すべく、次の月曜日に早速いつも世話になっている補聴器屋さんを訪ねました。すると、「また少し性能の向上した音楽用補聴器ができたから試してくれませんか」とそれを貸してくれました。そのときに「こんなことをしないでここに簡単な電子楽器でもおいて皆さんに試してもらったら」と提案してみました。そしたらそれに対する返事は、「とんでもない。そんなことをしたら今使っている補聴器はほとんど役に立たないことがわかってしまいます」ということでした。私のように、「前の補聴器では1オクターブしか聞き取れなかったけれど、今度のでは3オクターブ聞き取れた、などという方は他には居られません」という補聴器屋さんの説明でした。これでは補聴器も進歩しないのは当然と半ばあきらめました。病気になって健康のありがたさがはじめてわかるということは、音を聴くときにもつくづくと実感します。

 フォーラム終了後の講演者を囲んでの懇親会には、この筑波の先生以外に、いろんな立場から音楽療法に取り組んでいる3名とミニコンサートで演奏されたチェリストが参加され私と同じテーブルを囲みました。そこでは、この4人で余りに話がはずんでいるので、私はこのフォーラムを企画した関西医大の中井教授(心身医学)に、この4人は前からのグループかと訊ねたのです。ところが答えは意外なことに、彼らは全部初対面だということでした。我々のフォーラムがきっかけで新しい研究グループができれば、これこそ京都フォーラムの意義ではないかと思ったのです。それに関連してこんなことを思い出しました。随分古いことですが、私が未だ京大教授だった頃、原爆の人体影響を論じるために、広島のABCC(当時広島にあった米国の研究機関で、1975年に日米合同の財団法人放射線影響研究所となった)の研究者と、広島大学、長崎大学のそれぞれの原爆影響の研究者が京都に集まったことがありました。そのとき驚いたのは、この3者が私の前で初対面の挨拶を始めたことです。同じ研究をしながら、しかも同じ所に住みながら、そこで会わずに京都で初めて会うとは思っていませんでした。

 段々と話が飛躍しますが、放射線治療の研究でも、どのようにグループを組むかが研究開発の成果に如何に影響するかを日米比較で考えてみたいと思います。皆さんは多分米国で成功し、日本で失敗しただろうと思われるでしょう。しかし、事実は反対です。放射線治療の成績を向上させる為に化学的方法と物理的方法が考えられます。前者は防護剤、増感剤であり、後者はハイパーサーミア(温熱療法)です。資金の豊富なアメリカでは、それぞれが別々の独立した研究グループを作りました。研究費の乏しい我が国では私が代表者をしていたグル−プで、これを一括してそのなかで分担しました。化学的方法の方は、最後に薬剤にしなければならないという難しさのせいかいろいろと試みましたが、未だに陽の目を見ていません。後者は臨床的にも使えるようになりましたが、全部を平行して研究してきた日本では、多くの研究の結果から唯一臨床使用の可能なものとしてハイパーサーミアの意義が評価されました。これに対して、別々に開発を進めてきたアメリカでは、せっかくのハイパーサーミアも未だ開発中という評価しか受けていません。これは研究開発にたずさわってきた私の偽らざる感想です。広い視野で見てよいものを探すのと、それぞれが狭い視野で先人争いをするのを比べていると、今度ばかりは集団性の日本の勝ちと言いたいのですが、皆さんは同意してくれますか。

 でもがん研究に限って見れば、個人主義の取り違えか、個人情報保護にこだわって、がん予防、治療研究の何よりの拠り所になるがん登録もまともにできない我が国はとてもアメリカより進んでいるなどとは言えません。患者の声をよく聞き、がん難民をなくすと言っても、その対策はまたがん難民を作り出しそうながん拠点病院を作るという貧弱な発想ではまだまだいい点は付けられません。京都健康フォーラムの話からとんだ脱線をしてしまいましたが、このフォーラムの成果は「ルネッサンス京都21」五感シリーズとして順次出版していきます。すでに、その第1集「香りでこころとからだを快適に」(オフィスエム発行)は、この2月に発行されています。その「ルネッサンス京都21」の意気込みを胸に、脱線を気にせずにこの感想を書きました。

 

 


 *(財)慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団理事長、
京都大学名誉教授(放射線基礎医学)