2006.6.12
 
Books (環境と健康Vol.19 No. 2より)

長谷正當 著
欲望の哲学−浄土教世界の思索


法蔵館 ¥3,800+税
2003年6月20日(1刷)、2005年7月20日(2刷)発行
ISBN4-8318-3818-7 C1010

 

 

 本書は副題から想像されるような単なる教義の解説でなく、善なるもの、無限なるものを希求する人間の欲望との関わりにおいて、「人間とは何か」を多くの東西先人の業績を踏まえて考察した著者力作の集大成である。その姉妹編「心に映る無限−空のイマージュ化」が、2刷とほぼ同じ頃に発行されている。構成は(1)現代と浄土の思想、(2)生命と他者、(3)欲望と祈願の3部よりなっているが、ここでは(2)を中心に取り上げ、(1)、(3)は姉妹編と共に別の機会に評論する。

 人間の身体には心が一体となって存在していることに疑いを抱く人はまず無いが、それぞれが実体として存在するかということになると問題が生じてくる。しかし自然科学が身体を実体として扱うのであれば、心は一体どうなるのか?果たして、心は実体のないものとして、宗教界に任せて良いのか?それ故に、人間そのものを自然科学の対象とする現代医学は、この「人間とは何か」を問い続けねばならない。

 著者は、現代医学が病気を一つの実在と見て、要素に還元して追求し成功した陰に、人間の全体性、「健康」という概念を喪失したと憂えている。「健康とはそこに生命の全体性ないしは統一性が感取される感覚」であり、「病を健康の否定ないし異常とみなして排除しようとするのでなく、真の健康への促しとしてこれを見つめ受容し、その生命の根源に働く治癒力を活性化する」ところに、現代医学への答えを見つけている。すなわち病を健康を否定する対立概念とせず、より深い生命への覚醒を促し、真の健康へと導く意味を持つものとして積極的に捉えている。いわば回復期の喜びへの感覚である。

 また人間世界での悪(人間苦)も善の対立概念として捉えるのでなく、「善なるもの」「美なるもの」「純粋なもの」「無限なるもの」へと向かう「罪の意識」を促すものと捉えている。そこに心の傷を癒す自然治癒力としての「宗教心」の芽生えを見ている。現代医学の成功は、呪術と共に宗教を排し分離したところにあったが、生命の根源において働く癒しという要素を見失ったのではなかろうか?その意味において、来年の「いのちの科学フォーラム」で企画されているテーマ「臨床医学と宗教」に期待し、その資料として本書を紹介し評論した。

山岸秀夫(編集委員)