2006.6.12
 
Books (環境と健康Vol.19 No. 2より)

方波見康雄 著
生老病死を支える―地域ケアの新しい試み―


岩波新書(新赤版)992 ¥700+税
2006年1月20日発行
ISBN4-00-430992-1

 

 

 本書はかって炭鉱でにぎわった北海道の過疎と高齢化の寒村で、病院と連携して地域医療に長年尽力してきた一家庭医の医療の先進的試みの物語である。したがって、はじめ「老いの医学」、そして「地域で老いを診る」から現在の題名へと変った。

 「自分史」がある人の一生を綴った映画のフイルムであるとするならば、地域の家庭医(開業医)とはその作成のお手伝いをすることであり、「病院や専門医とのエピソードは、疾病を持つ人のある一定の時間のスナップ写真」に過ぎないとのイギリスの臨床医の言葉に「地域で老いを診る」の第1章が集約されている。第2章の「医療と生老病死」では、医学は「生きる苦しみと悲しみ、病や老いと死の出会うところである」とし、著者の外来待合室に掲げられた「子ども嫌うな 自分も来た道じゃ 老人嫌うな 自分も行く道じゃ」が紹介されている。19世紀中ごろのアメリカの結核医トルドーの時代の「癒し」と「支え」と「慰め」の3つの要素を調和した全人格的な医療から、抗生物質治療に自信を深め、「支え」や「慰め」の役割を軽視して、常に「病気を完全に治す」という強い自己主張の立場に変貌した現代医学に警鐘を鳴らしている。第3章の「地域で老いを支える」では、病院の開放型共同利用で、入院している人に対する家庭医の生活回診を取り上げ、「手は第2の脳」として評価し、患者を「支え」「慰め」る触診の大切さを示している。第4章の「老いて自立を保つ」では、老いて立つ喜びを「地上での蝉しぐれは、長い地下での生の最後の成熟の喜びを謳歌する、いわばベートーベンの歓喜の大合唱である」と表現している。圧巻は医師である著者が「老いて病を得て」患者として経験した記録の第5章である。心臓の三本の冠動脈の狭窄に対する心臓バイパス手術で九死に一生を得た体験であるが、その手術の直前に「死の臨床と宗教」と題してなされたお寺での講演には鬼気迫る医師の使命感が感じられた。手術直後の手記では、心筋梗塞を未然に防いでくれた優秀な多くの循環器医に感謝しつつ、薄氷の氷の上で大事に至らなかった運命の偶然を痛感している。

 とりわけ急性心筋梗塞の経皮手術によって幸い一命をとりとめた評論子にとっては身にしみる想いで、現代医学の進歩と主治医はじめ多くの方々の献身的努力に感謝している。退院後の院外処方の目的は、リハビリをとり入れたもとの日常生活へのゆっくりとした回復にあるが、心筋梗塞の患者の半数以上は急性期をしのいだ血圧降下剤の長期服用によるふらつき、微熱や便秘などの副作用と再発への不安から来る不眠症などで、心身症に陥るとの事が報告されている。ところが京都大学のような大病院でさえまだ心療内科は設置されていないので他の病院でも事情は同じではなかろうか。このような循環器内科の範囲を超えた、患者の日常生活まで踏み込む総合的な治療には、むしろ家庭医との木目細かい連携が有効であると思われる。著者は「医師が大病を経験するのも時として悪くない、むしろ必要条件かもしれない」と語っている。第6章の「老いを生きるということ」では1945年8月15日の「玉音放送」で、価値観や歴史観、世界観のパラダイムシフトを余儀なくされ、戦火を潜り抜けた歴史の生き証人としての後期高齢者の人間存在の根源としての愛と希望を次世代に語り継いでいる。その原点は著者の父の貴重な遺品としての黒い往診鞄であった。全篇を通じて困難な過疎地域で力を尽くした多くの先輩医療人への敬意を込めたレクイエムに満ちており、貴重な高齢化社会医療への提言でもある。

山岸秀夫(編集委員)