2006.6.12
 
Books (環境と健康Vol.19 No. 2より)

青木 茂、滝口直彦 編訳
医学的人間学とは何か?


知泉書館 ¥3,000+税
2006年1月20日発行
ISBN4-901654-63-2

 

 

 本書は1927年の「医学的人間学」の名付け親であるV.V.ヴァイツゼッカーを含む5人のドイツの精神医学者の講演・論文集である。いずれの論文も出版以来半世紀あまりを経ており、その間、生命科学と情報科学の進歩により医学は大きな変革を遂げた。しかし医学哲学の訳者は、医療倫理の問われている昨今、敢えて「医学的人間学」にこめられた倫理的、人間学的なものに不変の今日的なものを見出して訳出し、適切な解説をつけて編集した。

 ここでは最初のヴァイツゼッカーの1948年の「医学的人間学の根本問題」を取り上げて紹介する。筆者は、情報処理の主体である主観を病理学に導入し、心身二元論を批判して、医学的人間学を原理として臨床各科に及ぶ全人的な医学へ広がりを持った総合医学として、「人間学的医学」を展開している。心身医学はその発展である。

 筆者は、因果法則の支配する無機物質の世界に出現した核酸分子の自己増殖系は、生命世界の特異点であるとする。すなわち個別的生命の普遍的生命への依存である。したがって物と物との因果的、水平的関係でなく、生物たる自己を支える存在理由への超越的な垂直作用が人間学の対象である。「生命は決して死なない。死ぬのは個々の生き物だけである。個体の死は生命を区分し、更新する。死ぬというのは転化を可能にする」。生死を分かつという言葉があるが、死は生命の反対でなく、生殖及び出生に対するもので、「生命は、それは出生と死である」。しかし「生きている存在者が同時に他を殺す存在者でもあること、こうした殺害者との連帯に応じて、他者にも自己にも向き合っていること」の中に、無慈悲な自然生態学的考察と共に、独房の囚人への窓も開かれている。

 そこで「人間学的医学」に求められる「政治的要件は連帯性と相互性の原理による」とする。医療の社会化、社会の高齢化によって、医療者、介護者、家族によって、何よりも病床の患者によって記録された「生と死」の物語が巷に溢れている。ここで筆者は「医学は生への援助者だけでなく、死への援助者でもある」とする。これを、第二次大戦中のナチズム医師団による大量のユダヤ人虐殺や重度障害者の安楽死との脈絡で読むのは筋違いで、医師としての長い臨床経験の中で立ち会った数え切れないほどの患者の終末期の思い出が、「医学は生にも死にも同じだけの力を用いて仕えるべきだ」との信念になったものである。医師が真摯に現代医学に備わるほとんど無限の延命措置を行なった結果として、終末期の患者に極めて悲惨な断末魔の苦しみを与え、生涯の終わりに際して人間としての尊厳を奪い取るという予期しない結果を生むかもしれない。筆者は「生の喜びと死の苦悩に共感できる医療者たれ」と若い医学生に訴えている。

 この他に、「思いあがり」の人間学的意味、不安の人間学、精神分析に含まれている潜在的人間学、人間学的視点から見たヒステリー、など人間学の4編があるが、最後のW.ブランケンブルクの論文の「私は身体である」と「私は身体をもつ」の違いの中に、身体性現象学の“身”の真髄を見たような気がした。第二次大戦中、アメリカで開発されたサイバネティックスに基づく神経生理学を補完するものとして、伝統的ドイツ哲学に根ざした人間学的医学を再認識させる編集である。

山岸秀夫(編集委員)