4.星見地蔵(上京区御前通一条上ル 西雲寺内)
「-----歯塚地蔵さんともいいましてね。ほれ、額にもそうありまっしゃろが。よく子供を連れて、歯痛がなおるように-----とお参りに見える方もあります。でも、もとは星見地蔵といったそうで-----。しかも、それがわかったのは最近でしてな」
西雲寺の住職・寂源さんは、のっけから、こう切り出す。
戦後も間もないころ、住職が蔵を整理していたところ、出てきたのが、ホコリをかぶった一枚の版木。題字には「星見地蔵尊略縁起」とあって、お地蔵さんの由来が彫られていた、というわけだ。
「それが、なぜ歯塚地蔵に変わったのか、実はよくわからんのですが。まあ、いつの時代か、歯痛に実際の霊験があって、だれいうとなく、信じられてきたんでしょうね」
星見地蔵のおからだは60B余り。本堂の脇壇に祭られている。
空は一天にわかにかき曇った。阿刀(あと)は、いま一心不乱に念仏をとなえるのだった。それというのも、彼女には子供がなく、なんとか子宝を授からんものと、明星に十七日間の願をかけた。そしてその日がちょうど満願だったのである。
「二八の十六日、毎日見えていた明星が十七日目の、満願のこの日にかくれなさるとは----。私の信仰がきっと、まだまだ足りないのに相違ない」
そんなときである。阿刀がふと顔をあげると、どこからあらわれたのか、一人の僧がそばに立っている。そして、天を一突き指さすと、またどこかに消えてしまった。
「‥‥?おかしなお坊さん‥‥」
阿刀は不思議に思いながら僧の指さした一角を目で追って、驚いた。いままで曇っていた空がいつの間にか晴れて、明星が一つ輝いていた。
「ああ、ありがたや。きっと願いが通じたにちがいない」
案の定、阿刀はその日から身ごもった。やがて、玉のような男の子を生んだ。宝亀五年のことである。明星から授かったというので“貴物(とおときもの)”と名づけた。後の弘法大師である。
阿刀は、その後、自分に明星を指し示してくれた僧の姿を一体の地蔵尊に彫り上げて、守り本尊とした。この像はもと阿波の国にあったが、寛文年間、真言の僧玄恵律師が、西雲寺に移し安置したといわれる。
西雲寺は北野の天神さんの大鳥居を下がって50m。西陣署の横にある。星見地蔵はかって門前に北向きで立っておられた。左上に首を上げて、まるで西に輝く明星をあおぐかのように。
「それを前の住職が、本堂に移しておまつりしたと聞いております。ちょうど縁起とぴったりきまっしゃろ」
住職の話である。あけの明星をあおいだ、柔和なお地蔵さん。全国にも比類がない。
5.足抜き地蔵(上京区大宮寺之内東入ル妙蓮寺前町)
とき江戸末期。京の遊郭島原を舞台にして、西陣の職人と遊女が恋におちた。借金をかたに足かせの名もない女郎と西陣といえど下職の若者。愛し合っても、金がない。しょせん結ばれることのない。が、二人の愛は、日増しにつのり、女郎はついに一大決心をした。
「足抜きしてあの人と一諸になろう」
しかし、島原には“足止め地蔵”というおそろしい地蔵さんがあって、足抜きした女郎を探すくるわの女将が参ると必ず三日とたたぬうちに、逃げた女郎がみつかる、という。当時くるわの“足抜き女郎”に対するリンチは残酷をきわめ、夜中に井戸の中へさかさずり、ムチ打ちと“サド”のきわみで、他の女郎衆への見せしめとされていた。その女郎も、そうした同僚のリンチや“足止め地蔵”のふしぎな、おそろしいご利益を見聞きしていた。「あの憎い地蔵さんさえなくなれば、うまく逃げおおせるのでは」
思いつめたその女郎は、ついにある夜こっそり着のみ着のままでくるわを抜け出し、重たい石地蔵を背中に背おって一路北へ一里半、西陣は恋しい彼氏の待つ大宮寺之内の“灰屋路地”へ急いだ。夜明け前、くたくたになって路地にたどりつくなり、彼氏の家の前でバッタリ。びっくり、飛び上がらんばかりの男の介抱で、元気を取り戻し、そのまま二人はしあわせな人生をおくったという。いつのころからか、そのお地蔵さんは路地の一角に鎮座、その名も“足抜き地蔵”と改められ、灰屋長屋の守り神となり、現代に生き続けている。
「ガチャ、ガチャ」とハタの音の絶え間ない大宮寺之内を東へ進む。南側に、狭くて見過ごしそうな路地がある。その昔、大きな灰屋の屋敷址だ、という通称“灰屋路地”の中ほどに、この“足抜き地蔵”はあった。きちんと雨よけされた祠の中に、他の五体のお地蔵さんとともに町内安全の守り神である。
この話には後日談がある。昭和になって島原の楼主が路地にきて「この地蔵さんはもともと島原のもの。ぜひ引き取りたい」と長屋の人たちと交渉、かなりの金を出すというので「売り渡そう」と決まった。が、その夜、長屋のある人に地蔵がのり移って「おれは島原へは帰らん。幾多の女郎を痛めつけた悪い地蔵、修行のためにこの路地に来たのじゃ。まだまだ修行が足りんので帰さんでくれ」とのお告げ。この一声に感激した長屋の人たちは売る方針をくつがえし、以後守り神としてたてまつった、という。
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