2004.6.1

 

藤竹 信英

(編集:菅原 努)

 

26.京のお地蔵さん巡り(壱)

 


 毎年8月23、24日に京都を中心にして行われる地蔵盆の行事は、なつかしい思い出である。お地蔵さん‥‥。どうしても、そう呼びたくなる。

 だが、ここでは、お地蔵さんの紹介をしなくてはならない。それには、やはり正式な名称の“地蔵菩薩”にもとづいて、その地蔵菩薩の何たるかを述べるのが本筋であろう。

 まず最初に、地蔵菩薩の“菩薩”とは何か?------- 菩薩とは、端的にいえば、「仏に準じた存在」である。“準じる”といえば、「正式のものに次ぐものとして考える。正式のものとだいたい同じにあつかう」(『三省堂国語辞典』)という意味である。したがって、「仏に次ぐ存在」「仏とだいたい同じに扱われる存在」が菩薩である。

 地蔵菩薩は、仏になるだけの実力をお持ちであるがなおかつ仏にならずに菩薩のままでおられる方である。では、なぜお地蔵さんは、仏になろうとされないのか------? それは、仏になると困ったことが生じるからである。困ったこと-------というのは、仏にも「できないこと」があるからである。この点は、ちょっとわれわれには意外なのであるが、たとえば、南北朝時代の禅僧の夢窓疎石は、次のように指摘している。

 「仏は一切のことにみな自在を得玉へりといへども、その中に三不能といえることあり。一には無縁の衆生を度(ど)することあたわず。二には衆生界をつくすことあたわず。三には定業(じょうごう)を転ずる事あたはず。定業とは前世の善悪の業因によりて、感得したる善悪の業報なり。これは仏菩薩のちからも転ずる事かなわず。これらはみな前世の業因にこたへたる定業なり」(『夢中問答』)

 仏には三つの不可能事がある。そのうち、第三の「定業(じょうごう)を転ずる事」は、これは仏だけではなしに菩薩にもできないことである。たとえば、醜女(しこめ)に生まれた者を美女にすることは、仏にも菩薩にもできかねることである。なぜといえば、それは前世からの宿業(しゅくごう)によるものだからである。しかし、「無縁の衆生を度すること」と「衆生界をつくすこと」は、仏には不可能事であっても、菩薩には可能なのである。そう夢窓国師は言っておられる。

 仏にできないことが、なぜ菩薩にできるのか? 理由は簡単である。仏はこの世に住んでおられないのである。たとえば阿弥陀仏は、西方十万億土の彼方の極楽世界にまします。そして、「南無阿弥陀仏」と称えた衆生、そういう“縁(えにし)”を作った衆生をしか救うことができない。阿弥陀仏にかぎらず、薬師仏にしても、これはすべて同じなのである。しかし菩薩であれば、無縁の衆生を救うことができる。なぜなら、菩薩はいま現に、この娑婆世界にあって活躍されているからである。遠い真理の世界に消え去った仏にはできない仕事、衆生の救済、をするために、わざわざこの娑婆世界にとどまってくださっているのが地蔵菩薩なのである。そこで、このたびは、京の街角に住いされている“お地蔵さん”をお訪ねしてみることにした。

 

1.歯形地蔵 (北区千本通鞍馬口上ル東側)

 クスの大木を目あてに、その北隣に小さくかがまっていた。歯形地蔵尊の、赤い可愛いいちょうちん、摘まんで盛った撰米(せんまい)。狭い格子のなかには三体のお地蔵さんが肩を寄せあっている。

 その昔、鞍馬口通りには小川が流れていた。金閣寺あたりから折れた紙屋川の支流で、上にのぼって流れる、“逆さ川”だった。そして、川には千本通りをまたいで小さな橋がかかり、たもとに一体のお地蔵さんがあった。人々は“逆さ川地蔵”と呼んで親しんでいた。

 そんなころのこと、近くに夫婦が住んでいた。夫は大工で、仕事一筋のマジメ人間。近所の井戸端会議でも評判で、奥さん連中も口々にほめそやした。妻も自分には出来すぎた夫と思っていたけれど、あまり評判がよすぎるので気が気ではない。
 「ひょっとして浮気でもしたら」
 「いやいや、他の女性にとられるかも‥‥」
 心配がこうじて、夫の帰宅が少しでもおそいと、出先まで迎えにでるほどの気の使いよう。
 ある日、夕方から、あいにく空は一天かき雲って、篠突く雨。
 「さぞ、夫が困っているのでは‥‥」
 妻が迎えにでると、いましも向こうから夫が、美しい娘と相合い傘で歩いてくるではないか。
 「人の気も知らないで、いまいましい!」
 逆上した妻はつかみかかった。驚いたのは亭主。そのまま、かけ出し、逆さ川の橋の下に逃げ込むと、お地蔵さんの陰にかくれた。追いついた妻は、言葉より先にやにわに肩へガブリとかみついた。
 「アッ!」
 よほど気が転倒していたのか、妻が夫と思っていたのは実はお地蔵さん。そのうえ、かみついた歯はお地蔵さんの肩にくい込み、そのまま離れない。
たまたま通りかかった老僧がいて、
「これはこれは、お気の毒じゃ」
と経文を読んで助けた。が、妻はそのまま息がたえてしまった。

 以来だれいうとなく、逆さ川地蔵を“歯形地蔵”と呼んで、女のしっとをいましめたとか。また夫の身代わりになったというので、歯痛治療の信仰もいつしか生まれた。

 いま、逆さ川は埋め立てられ、その面影はない。

 十二坊の坂を、市バスがからだをゆすりながら、かけ下りて行く。小さな祠にまつられたお地蔵さんの表情は風雪に流れつくし、目鼻だちも、肩の傷もわからないほど削られているけれど、だれがお参りするのか、供花の絶えることはない。

(次をお楽しみに)