2004.2.1

 

藤竹 信英

 

22.牛若・弁慶出会いの五条天神社・・・下京区西洞院通リ松原下ル天神前町

 


 牛若丸と弁慶がはじめて出会ったのは五条大橋と信じられていて、前回もその線での話を紹介したが、実はそうではなく、五条天神社なのである。叡山西塔の武蔵坊弁慶は太刀千振りを奪いとる悲願を立て、洛中に出没し、九百九十九振を奪い取り、今夜はその最後の一振というときに当って五条の天神社に詣で「今夜の御利益(りやく)によき太刀を与え賜え」と祈念する。その頃洛中には丈(たけ)一丈ばかりの天狗法師が出歩いて、太刀を奪うという噂があったから、夜は人通りも途絶え、猫の子一匹見当らない。弁慶はいつまで待っても天神へ参る人が来そうもないので、明け方近くなった頃、堀川を南に向って歩み始めた。すると気持ちよさそうに笛を吹きながら近づいてくる者がある。年若き男であるが、白い直垂(ひたたれ)に胸板を白くした腹巻を着用し、腰には黄金造の立派な太刀を佩いているではないか。これを見た弁慶はよき獲物御参なれとばかり、その前に立ちはだかり「ここを通りたくばその太刀を置いて行け」と大喝した。相手は一向に驚きもせず「欲しくば取ってみよ」という。「では御手並拝見」と太刀を抜いて切りつける。御曹司も小太刀を抜いて築地を後にして構え、すばやく右脇へ切り込むと、手元の狂った弁慶は力あまって突っ走り築地の壁にぐさりと刀を突き刺した。あわてた弁慶、刀を抜こうとするところを御曹司が走りよりえいッとばかりに右足で弁慶の胸を踏み付け、刀を拾い取って築地の塀の上にひらりと飛び上がった。そして築地の屋根に刀を押しあて、踏みゆがめてポイと投げつけたから弁慶くやしさにカッとなり、今度は築地から飛び下りてくるところを目がけて切りつけた。だが御曹司は六韜(りくとう)の兵書をよみ、日頃より飛行の術にすぐれていることとて、九尺の築地より飛び下りても、途中からまたひらりと上へ飛び返った。結局弁慶は相手の太刀を奪うことができず「今宵はむなしく帰りけり」という仕儀に相成った。ここにいう御曹司とは無論牛若丸のことであるが、この五条天神の出会いのときには未だ二人は正式に名乗らなかったから、弁慶には相手の素性は分らなかったことになっている。

 五条天神社は、天使社ともいわれ、厄除け祈願の信仰のある神社である。いつ頃からここに祀られているのか分らないが、六角堂と共に延暦遷都以前からの神社ではないかと思われる。京都人でも知るものは案外少ない。しかし、伝説説話にはしばしば登場している。ここに述べた牛若・弁慶のはじめての出会いをはじめ、弁慶の母が未婚の頃、当社に参篭した話や、鬼一法眼(きいちほうげん)の高弟湛海(たんかい)と義経が当社で果し合いをした話などが『義経記』にみえる。また別に、文覚上人が伊豆に配流される時、船員が上人の所持品を奪おうと相談し合っているのをきき、「金(こがね)百両を五条天神の鳥居のそばに埋めておいたが、帰洛するまで守護せしめ給え」とわざと祈念したところ、これを聞いた船員は急ぎ上洛し、鳥居のそばを深く掘ってみたが、金は出ずに鳥居が倒れたという話がある。