叢書「いのちの科学を語る」

熊澤孝朗 著

「痛みを知る」の案内

東方出版 ¥1,500+税 2007年12月25日発行 ISBN978-4-86249-084-1

「痛み」という疾病:慢性痛

山岸秀夫:財団法人体質研究会主任研究員、京都大学名誉教授(分子遺伝学、免疫学)

 本書のテーマである「痛み」は全ての人が経験するもので、嘗て「京都健康フォーラムシリーズ」として出版されたが1、専門性が高く一般読者の読み物とはならなかった。そこで「いのちの科学プロジェクト」では、再度「いのちの科学を語るシリーズ」第2集として本書「痛みを知る」を取り上げ,一般読者を対象とした。当プロジェクトでは、同時に「五感シリーズ」を出版している2,3)。古来「痛みは感覚か?情緒か?」が議論されてきたとはいえ、痛覚受容器が皮膚にも存在する以上、五感の内では触覚に近いといえよう。しかし他の感覚には必ず快感が伴うのに比して、痛覚には快感は存在せず、シュバイツァー博士の言葉を引用すると、「痛みは死そのものよりも恐ろしい暴君である」。しかも慢性化した痛みが高齢者の生活の質(QOL)を低下させているのが現実である。

本来痛みは「生存に関わる警告信号系」であり、全ての生物に保存された原始的ではあるが、重要な普遍的シグナルである。これは、身体の異常を伝える急性痛であり、慢性痛と区別されている。慢性痛は、急性期の痛みシグナルの役割が去った後に、新たに神経系に発生した歪みによる無用の混線シグナルで、気のせいではなく「痛み」という疾病として捉えている。しかし痛み自体が個人的、主観的なもので、客観的評価の指標となりにくい。したがって、原因不明の痛み全般を扱う専門科としての「痛み科」は存在しない。米国では、1990年から「脳の10年」として国を挙げて脳科学を推し進め、2000年から「痛みの10年」として、痛みの医療と研究が推進され、全米各地に「痛みセンター」が設置されてきている。しかし日本では、医療機関内の縦割り主義が、「学際的痛みセンター」の発足を妨げているのが実情である。

慢性痛症の発生を抑えるためには、急性期の痛みを徹底的に抑えることが必須であり、そのためにはモルヒネの大胆な使用も実行すべきであることを訴えている。また不幸にして、慢性痛に移行した場合には、各種運動療法と並び東洋医学のハリ鎮痛なども併用した学際的なリハビリプログラムを提唱している。そのプログラムメニューは個人的に違うが、治療はグループで行うことにより、他人の改善の様子を見ることが患者の励みになる。すなわちこのリハビリは相互扶助の「身心」両面からの訓練で、「痛みゼロ」を目指すのでなく、「痛みの中に人生がある」から「人生の中の一部分として痛みがある」へと改善し、社会復帰を目指すものである。米国の「痛みセンター」の中には2/3の社会復帰を実現したものもあるとのことである。高齢化社会の健康寿命の延長のためには、是非わが国でも実現したい「学際的痛みセンター」である。

 しかしインタビュアーとして感じる残された問題点は、長期療養病棟で寝たきりの、介護師泣かせの慢性痛に苦しむ人々である。たとえ「学際的痛みセンター」が発足しても、どのようにこれらの痛み難民に対応できるかという大きな医療行政の課題が残されている。

平成19年12月25日

文 献

1) 中井吉英 編:慢性痛はどこまで解明されたか、昭和堂 (2005)

2) 中井吉英、大東 肇 編:香りでこころとからだを快適に、オフィスエム (2007)

3) 中井吉英、大東 肇 編:味覚が与えてくれる安らぎの暮らし、オフィスエム (2007)

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