サロン談義4(1)           「環境と健康」 Vol.21No.1 2008

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教育改革に対する私見
  岡本 道雄
  
(財)日独文化研究所理事長、元京都大学総長(解剖学)

はじめに
 私が会長を務めた、昭和59年から3ヵ年かけた臨時教育審議会(臨教審)は、戦後、平和が回復するにつれて、国内社会の、特に青少年の学校内外での非行がめだち、放置しておけないという世論の強い要請によって、中曽根首相の下で、文部省のみでなく内閣を挙げての協力のもと、設置されたものである。しかし、その成果は必ずしも良い効果をあげることが出来ず、丁度その頃あった臨時行政調査会の国鉄民営化のような、目に見える大きな成果をあげることができなかった。その点において、私は、土光敏夫さんと比べられて、臨教審は不成功であったという批判を受けつづけて30年、今日に至っている。
 そのように臨教審は成功をおさめられなかったが、その後、何回も内閣が替わる度に、「教育が大切だ」という掛け声の下に、新しい教育審議会が設置されて、内閣の変化と同調して、次々と新しい政策を出して、現在は教育再生会議の下に、安倍内閣から福田内閣を通して、思い切った改革を提案して、今日に至っている。

大学紛争の哲学的背景
 かつて私は、臨教審の会長として、第一回の総会で、「教育の荒廃と言うが、荒廃は教育のみでなく、政治、経済等、社会全体に及んでいる。また、このような荒廃は独り日本国のみのことではなくて、工業先進国である各国に何れもみられるところである。」と述べ、また、「我が国の教育改革は明治維新から、今日の敗戦の改革を含め、何時でも外国の圧力のもとに始められたものである。今回の改革も外国の影響があると思うが、日本は一度、自らの意見で日本の教育を考えなくてはならぬのではないか。」とも述べたのであるが、臨教審には、勿論その様な根本的教育論はなくて、当時世界で名高い経済学者であったフリードマンの『自由論』が、その著者のノーベル賞の力もあってそのままで主張されたものであった。
 私のそのような考えは、以下のような体験から生まれたものであった。私は京大の大学紛争の頃の総長であったが、あの紛争が日本国内はもとより、世界の大学も殆んど一斉に終結をみたことから、ひそかに、これは世界の何処かに司令部があって、そこから指令が出ている国際的なものでないかと思っていた。その中心として噂にのぼったのがマルクーゼ(H.Marcuse 1898-1979)であった。もっとも、当時、彼の『理性と革命』という本は持ってはいたが、実務に追われて読む暇が無かったのである。総長退任後は東京に出て、科学技術会議の議員をして、この国の科学技術振興の改革の立案にかかった。その頃は、世界的に臓器移植が盛んとなってきた時であって、腎臓、肝臓はもとより、心臓そして脳まで移植の対象となる勢いであったのをみて、「科学技術はこのままで進歩していいのか」と考えていた。
そのような体験から生まれた私の信念から、一度教育を本格的に考えたいと願っていたが、2002年9月、突如、左足が動脈の血栓に襲われ、生まれて初めて長期入院となった。それを機会にマルクーゼの『理性と革命』を始め、ヘーゲル(G.W.F.Hegel 1770-1831)、フォイエルバッハ(L.Feuerbach 1804-1872)、マルクス(K.Marx 1818-1883)、ハイデッガー(M.Heidegger 1889-1976)、ハーバーマス(J.Habermas 1929〜)までの哲学書を読む時間を持った。その結果、まず、「去る大学紛争の哲学的背景はなんであったか」と考え、過日、漸くそれが京都大学大学院人間・環境学研究科が発行する『人環フォーラム21』に掲載され、一段落したところである。
 私は、この大学紛争の哲学的背景を勉強したいと総長退任後から30年間、常に考えていた。その結果、それは日本の大学のみの紛争でなく、世界の先進国全体の大紛争であり、その中心はマルクーゼというユダヤ系ドイツ人の哲学者であることを知った。それが紛争と共に終わったのではなくて、今日も延々と続き、今日フランクフルト学派としてドイツに残っていることも知った。このマルクーゼがナチを逃れてアメリカに行き、多くの大学で教え、アメリカの日本占領の中にもこのマルクーゼの考えのアメリカ人が来日し、日本の在り方も指導したという。従って、日本の戦後の復興の実態は日本のみでなく世界全体に及んでいる。日本の教育の改革を考えるときにもこのような考え方は必要で、それが日本のみのことでなく常に世界的視野に入れて考えることが必要である。世界的対策が必要であるということであるが、これには哲学的思索が必要である。

人間の共生
 「教育の基本は」と言う時、まず、「人間とは何であるか」というところから始めなければならない。「人間とは何であるか」と言った時、何よりも著しい特徴は、大きな脳に従う、動物と比較にならぬ心を持っていることである。初め、この人間の心を中心に考え、ダーウィンの進化論で、この人間の心が出現したのは500万年前、チンパンジーから別れたときであることを知った。この心こそ人間の特徴であると思い、予てからドイツのカール・フリードリッヒ・フォン・ヴァイツゼッカー(Carl Friedrich von Weizs劃ker 1912-2007)の著作を読んで、人間の特性は「他との共生にある」と考えていたので、長く「人間は大きな心を持った、共生を本質とする生命体である」と定義することに落ち着いていた。この心の進化論的発生は、勿論、その進化の第一歩は突然変異であるが、その変異は木村資生氏の分子生物学進化論によると、中立的であると言われている。色々の心があり得るということであり、進化論のその次の自然淘汰では、他の人間との間の関係のみであって、心の性質上、何れも不安定というか、自由というか、変化しやすいものであると考えていた。心が天使でもあれば悪魔でもありえるのは、このような実体であるからと思っていた。
 「ヒト」は生まれた時は独りである。しかし生まれると共に、母親とその子供の関係に入る。いわゆる「人間」になるのである。この「人間」であること、他と共にあることは、やがて父親を知り、家族を知り、家族の一員となる。その家族が他の家族と共にあることにより、村を作り、町を作り、都市を作る。その村や町や都市が集まって国を造る。国家ができて、そのような国家を全体として見る時、世界となり、この世界というものを人間の集まりと見るところに「人類」という概念が生まれる。
 人間は類的存在であることを、初めてヘーゲルの精神というものから、他との共存の実体であることを学び、大きな感銘を受けた。人間の類的存在はフォイエルバッハのいう「他との結合」とも考え得る。「共存の実体」こそ人間であり、人間たる所以であるという思いに辿り着いた。そして人間が人間である契機というか、個人と個人、家族、村、町、都市、国家、世界、人類という人間実存の序列は人間存在の実体として、その心を中軸とした連鎖であることを知るに至ったのである。
 この序列が私の人間観の最初の重要なものであって、人間の共生ということも納得できる。この序列に沿って、バランス良く、人間の存在のあり方を考える時、人間のあるべき方向というもの、共存の方向が明らかになる。先人が後輩に教えることを教育と言うなら、教育は人間にとって有っても無くてもいいものではなく、必須のものであることが解る。これを全体として教えるものに、宗教というものもある。教育、宗教は心を持った人間にとって、有っても無くてもいいものではなく、人間である為には必須のものである。
 西洋には、古代ギリシアより人類の長い経験の積み重ねがあり、古代では神としても教えられるのが人間のあるべき道であった。それは古代ギリシアの哲学となり、ソクラテス、プラトン、アリストテレスを経て中世、近代の哲学となり、学校教育の成立は、これを原形として人間のあり方を教えられてきた。人間であることの教育は初歩であるが必須のものであるので、これを一般教養とも普通教育とも義務教育とも言って、教育の初めにおかれてきたのが西洋の教育である。そして日本の明治教育以後の教育であった。勿論これは、東洋の国々においても、それぞれの人間のあるべき道として、教育の初めはそれが中心であった。初めは母親の教育、長じては、我が国では寺子屋の教育であろう。

人間教育
 教育とは、初めはこのように人間の生き方を教えるものであった。いわゆる専門教育は、その上で、人間に成った人間に教えるものであるのを、色々と誤って、この人間教育の部を省略して専門に入るのが今の教育である。この人間教育は人間の心の教育である。この心の教育の序列、個人と個人、国家、世界の3つにわけて説明すると、この序列は、常に心の世界では関連して働いており、その著明な例を挙げれば、昨今、国際会議の前に各国の首脳が2人で会い、その間に合意ができれば、次に開かれる本会議ではうまくいくといったようなもので、国際会議では、常に用いられる形式である。これは心と心の結合であるので、この為に代表となる人物は立派な心の人、国家として世界として通用する善意の人でなければならない。そして、その話し合いは、心の相互理解であるが、その実際は外国語であっても、また通訳を通すとしても、その内容は哲学でなくてはならない。世界に通用する心のことばは哲学でなくてはならぬ。
 また、この個人、国家、世界の心の序列では、そのバランスが大切である。と言うのは個人には個別に個性があり、また国家には特殊があり、世界には普遍がある。それぞれの理念に偏ると、個人としては、個人主義となり、国家に偏すると国家主義となり、世界の場合は普遍として史的唯物論となるといったものである。最後の世界理念と言うものは世界文化とも呼ばれ、その中には個人も国家も、それぞれの主張を持ち、それを世界、人類という全体の中に包括するものでなくてはならない。晩年、ゲーテが世界文学と言ったものは、そのようなものであるという。
以上のように私は、人間教育にこだわってきたが、今日、問題になっているのが、この人間教育である。この見地から、次号以下で、親孝行、愛国心、そして戦争のことを論じていこう。
                                  2008年1月21日

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