2002.5.1
 

2002年5月のトピックス

Natureに見るアメリカのがん治療研究

菅 原 努

 


 科学雑誌Natureの4月4日号にAlison Abbott(Natureのヨーロッパ上席通信員)から「数十年にわたる失望と数兆ドルを使った研究開発の後に、“がんに対する戦い”はようやく本当の推進力を得ただろうか」というレビューが載りました。今まで何度も「がんに対する魔法の弾丸のような薬が出来た」という報道がありましたが、結局それはネズミで効いてもヒトには駄目だったということで終わっていました。しかし、今度はスイスの製薬会社Novartisが創ったGleevecという薬が昨年アメリカのFDA(食品薬品局:日本の厚生労働省に相当)の認可をとりました。これも完全な治癒というのには至りませんが2種類のがん(慢性骨髄性白血病、特殊な胃がん:胃腸実質腫瘍)には著効を示します。このことはがん研究者にがんの遺伝子変化を目標にした治療の基本方針が間違っていなかったと言うことを確信させました。

 実はアメリカでは1971年に当時の大統領ニクソンが“対がん戦争”を宣言して以来460億ドルの研究費を費やしてきましたが、何の目途も立っていませんでした。血液の病気である白血病は化学療法でかなりよく抑えられるようになりましたが、もっと一般的である普通のがん(固形腫瘍)には本当に効く薬は見つかっていません。いろんな遺伝子変化に対する薬や、最近ではがんを栄養する血管の発育を抑える薬などが注目されましたが、結局はどれもうまくいっていません。そこへ同じ原理で開発されたGleevecが成功したので大いに意気が上がったというところです。

 ところがそこに大きな問題が隠されているとAbbottは言っているのです。そうです、白血病はがんの中でも比較的簡単でその遺伝子変化も少ないので、その変化さえ抑えれば治す事が出来るでしょう。しかし固形腫瘍は通常少なくとも5、6ケの遺伝子変化を持っています。これを抑えるためには幾つもの特効薬を組合さなければなりません。しかもそのがんの遺伝子変化も同じ部位のがんでもいろいろと違う可能性があります。最近AstraZeneca社がある遺伝子の増殖性の変化(tyrosine kinases)を抑制するIressaという薬を開発しました。これは非小細胞性肺がんに効くはずなのです。ところが臨床試験の結果は10%の患者にしか効果が見られませんでした。ところがその後の遺伝子解析から同じように見えている肺がんでもこの遺伝子変化のあるのは10%だけで他は違ったがんであったということが分かりました。またGleevecでもそうですが、白血病の早期には良く効きますが病気が進むと効きが悪くなります。これはがんが進むとともに新しい遺伝子変化が付け加わってくるためです。だから早期診断が大切になるのです。それと共にこの方向の治療研究は、どのようにしてこの複雑な遺伝子変化に対応していくかという難問を抱えていることを忘れてはなりません。治療には病気のシステムに対する理解が必要であるということです。

 以上がAbbottのレビユーの大雑把なまとめですが、ここで私のこの現状に対する意見を述べておきます。それはNixonが1971年にがんに対する戦いを宣言したときに取り上げられながら、アメリカで忘れかけているハイパーサーミア(がん温熱療法)のことです。日本では私達研究者が努力して健康保険にも認められる一般的治療法になっていますが、(実情は未だ真の理解者が少なく十分に普及しているとは言えないとしても)、アメリカではまだほんの一部で試験的に行われているだけです。でも本当は日米並行して開発を進めてきたのです。それなのに何故このような違いができたのでしょうか。

 その理由についてはいずれ別の機会に詳しく論じたいと思いますが、ここで指摘しておきたいことは、Abbottの纏めにあるがん、殊に固形腫瘍のシステムとしての複雑さこそがハイパーサーミアから見れば一番有利な点であるということです。腫瘍は加温し易いし、がん細胞は悪性度が進めば進むほど熱に弱くなるのです。しかも化学療法では一々の遺伝子変化にそれぞれ別々に対応しなければならないのに、温熱はそれらの変化のいくつかに同時に働きかけるのです。加温が技術的に難しいなどというのも、徒に温度の集中ばかりを求めるからではないでしょうか。

 この機会にアメリカのがん治療研究がハイパーサーミアにもう一度目を向ける事を強く要望します。

 

Nature Vol.416 4 April 2002 news feature:
On the offensive (Alison Abbott) pp.407-474.